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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2012年12月1日


クリスマスツリー



カトリック教会では、毎年、12月25日、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスまでの約4週間を、待降節と呼び、救い主を待ち望む準備の期間としています。今年は、明日の12月2日から始まります。

祭壇に向かって左にある赤い四本のローソクは、待降節の間の日曜日、つまり主の日が4回あることを示しています。ローソクの火が一週間ごとに、一本ずつ増えていくとともに、主キリストがだんだん近づいておられることを意味しています。

明日は、待降節第一主日ですから、ローソクが一本灯されています。第3週目は、「ばらの主日」と呼ばれ、ばら色のローソクを灯す習慣がありました。それは、待降節第3主日のミサが「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリッピ4:4)という入祭唱で始まるからです。第2ヴァチカン公会議以前の典礼では司祭はこの日、ばら色の祭服を身につけました。それは救い主の誕生の喜びを待ちきれない気持ちを表したものでした。

新約聖書のヨハネ福音書の始めに「光は暗闇の中で輝いている」と語られています。光は闇の中にこそ輝きます。夜空が美しいのは、暗い闇の中で、月や星が光り輝くからです。人間はだれでも、心の中に闇を抱いています。言葉や行いによって人を傷つけてしまった悔い、挫折感や孤独感など、心の闇は暗くて、重たくて、悲しいものです。しかし、この闇が深ければ深いほど、「まことの光」はその人の心に輝きを増し照らしてくださいます。

2012年、救い主イエスの誕生を待つ人すべての人に、平和がありますように。そして、人々の心の奥に、幼子イエスが希望の光となってくださいますように、今年最後の「アレオパゴスの祈り」に願いを込めてローソクをささげ、祈りましょう。

それでは、後ろでローソクを受け取って、祭壇にささげましょう。

今、わたしたちが祈りとともにささげた祭壇の上のローソクを見つめましょう。一人ひとりの小さな祈りを神さまが受け取ってくださいますように。また、今日、ここに参加することができなかった人をも心に留めて祈りましょう。

救い主の誕生が記されている、旧約聖書のイザヤの預言を聞きましょう。

イザヤ書 9.1、5

   闇の中を歩む民は、大いなる光を見
   死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
   ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
   ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
   権威が彼の肩にある。
   その名は、「驚くべき指導者、力ある神
   永遠の父、平和の君」と唱えられる。
 

紀元前1000年ころ、イスラエルには、ダビデという王様が支配していました。「このダビデの子孫から救い主が生まれるであろう」という預言のもとに、希望をかけてくらしていました。しかし、何年も何年も苦しい歴史が続き、外国の勢力が次から次へと押し寄せて、ついに神殿は破壊され、祖国から追放されることも体験しました。イスラエルの人々は、試練の中でも、救い主が来られるという希望を世代から世代へと伝え、主の訪れを待ち望みました。そして、ついにそのときが来ました。

長いイスラエルの歴史の中で、人々の描き続けてきた救い主のイメージは、すべての民を支配する強い王様、偉大な力に満ちた権力者のはずでした。しかし、救い主のしるしとして与えられたのは、王の宮殿でなく、貧しい馬小屋の飼い葉桶の中に生まれた幼子でした。神の使いの天使たちが、真夜中に羊飼いたちに告げたメッセージが書かれている、ルカ福音書が伝えるイエスの誕生の物語を聞きましょう。

ルカ 2.1~16

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。   「いと高きところには栄光、神にあれ、   地には平和、御心に適う人にあれ。」 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

(沈黙)

クリスマスの出来事は、二千年も前にイスラエルの国のベトレヘムという町で起こったことです。確かに、時代と場所を遠く隔てたわたしたちには、信じ難しいことかもしれません。しかし、神の子イエスが生まれた最初のクリスマスの晩、そこに居あわせた人々にとっても不思議なことでした。救い主は、母マリアに抱かれ、マリアから世話をしてもらわなければ生きていけない幼子としてこの世に来られました。神さまは、マリアやヨセフがそうしたように、自分の救いの計画に人間が協力してくれるようにと求められます。

このクリスマスの神秘は、今もこの世界に働いておられる神さまの不思議さを物語っています。忙しいわたしたちは、ゆっくり神さまのことを考えたり見つめたりする時間が取りません。クリスマスは、神さまのほうに行けないわたしたちのところに、神さまのほうからきてくださいました。

『カトリック聖歌集』p.111 「しずけき」① ② ③


イエスの誕生


クリスマスが近づくと、馬小屋でのイエスの誕生の場面をかたどった人形が、教会や、キリスト信者の家庭に飾られます。このクリスマスの飾りは、イタリア語で「プレゼピオ」と呼ばれています。

この馬小屋をはじめて作ったのは、イタリアの聖人、アシジの聖フランシスコだと言われています。フランシスコは、言葉でイエスの降誕の意味を説明しましたが、当時人々はその話の意味を理解することができませんでした。人々は聖フランシスコの作った馬小屋の場面を目で見てから次のよう言いましたに。「なるほどイエスさまはわたしたちのために生まれてくださった。これはわたしたちの平和の泉のようだ」。そのときから、アシジの聖フランシスコが作った馬小屋に倣って、クリスマスには、馬小屋を教会や家庭に飾る習慣が広まっていきました。

アッシジの聖フランシスコの「はじめての馬小屋」のエピソードをご紹介しましょう。

今からおよそ800年近く前、人々がお金や物や権力を追い求め、争いや戦いが絶えまなかったころのことです。イタリアのアッシジに住む大金持ちの息子フランシスコは、財産も名誉も捨てて神さまだけに頼って生きる生活を始めていました。やがて、次第に仲間が集まるようになりました。

1223年のクリスマスが近づいたころ、フランシスコは「今年はいつもと違った方法でクリスマスを祝いたい」と思っていました。ちょうどそのとき、フランシスコを尊敬していたジョバンニという人が、「神さまをお喜ばせしたいのですが、何をすればいいのでしょうか」と尋ねました。「このグレッチョの森の岩穴の中に、干し草をいっぱい入れた飼い葉桶を置いてください」とフランシスコは答えました。

そのときフランシスコは、聖書に書かれてあるとおりにベトレヘムの馬小屋の様子を再現して、自分たちのために神の御子がどんなに貧しくなられたかを、この目で見たいと思っていました。飼い葉桶のそばには牛やろばもいました。 やがてクリスマスの日の真夜中ごろ、羊飼いや農家の人々、職人たちや貧しい人々がジョバンニの準備した岩穴へ集まってきました。彼らは手にたいまつやローソクを持ち、神さまへのささげ物や、もっと貧しい人々と分かち合う物を携えていました。岩穴の中の飼い葉桶を囲んで、いつものようにクリスマスのミサが始まりました。あの夜、神の御子がベツレヘムの馬小屋においでになったように、今このミサの中でもおいでくださるようにと皆で祈っていました。

さて、ミサが進み、聖書朗読が「天には神に栄えあれ、地には人々に平和あれ」というところまできたときのことです。一瞬、夢を見ているのかと思いました。フランシスコが、飼い葉桶に眠っている美しい、輝くばかりの幼子を見つけて抱き上げたのです。すると、目を覚ました幼子が彼の腕の中でにっこりとほほえみました。

その夜の不思議な光景は、人々の口から口へと、野を越え山を越えて、たちまちのうちに知れわたりました。このことがあってから、クリスマスになると、どこの教会でも家庭でもベツレヘムの馬小屋に似せて飼い葉桶を作り、その中に幼子イエスの人形を置き、神さまがわたしたちにこの上ない贈り物、救い主イエスさまをくださったことを祝うようになりました。

(『クリスマスを楽しく』より抜粋 女子パウロ会編)

『祈りの歌を風にのせ』p.13「インマヌエル・アーメン」

貧しく無力な人々に近づくために、イエスはひとりの人間として、小さな貧しい幼子の姿でこの世に来られました。救い主が誕生しても、この人々の現実が変わるわけではありません。しかし、マリアとヨセフと羊飼いたちは、この幼子の中に神の救いの約束の実現を見て、喜びに満たされました。クリスマスは、イエスが、人々の心の中に生まれてくださる日です。わたしたちの生活の中に、救い主がともにいてくださることを喜び、祝いましょう。

これで今年の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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