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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2014年 4月 5日


菊



今日、わたしたちはそれぞれの置かれた場を離れ、ここに集まってきました。神様がわたしたち一人ひとりを呼び、ともに祈るようにとわたしたちを招いてくださいました。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 (マタイ18.20)イエスのこの言葉を思いめぐらしながら、この祈りのとき、わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々、出来事をしばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください。

カトリック教会は、今、四旬節と呼ばれる、キリストの受難を黙想する季節を過ごしています。4月13日から、聖週間とよばれる一週間が始まり、この一週間、イエスの最後の晩餐、受難を思い起こし、復活祭は4月20日にお祝いします。聖週間は、教会の典礼の中で、頂点とも言える大切なときです。イエスの受難、死と復活は、キリスト教の中心であり、この出来事をとおして、父である神はわたしたちへの愛を示されました。今日は、マルコによる福音書を聞きながら、ご一緒に祈ってまいりましょう。

この祈りの時間をよく過ごすことができますように、神の息吹である聖霊が助けてくださるようにと願って、歌いましょう。

『祈りの歌を風にのせ』p.35「主に賛歌を」 ③、⑤

マルコによる福音15.16~22、25~27、29~32

兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いていき、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。

そして、十字架につけるために外へ引き出した。 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 十字架から降りて自分を救ってみろ。」 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。

ピラトから死刑の判決を下されたイエスは、ローマ軍の兵士たちに侮辱され、傷つけられました。そして十字架を担って、ゴルゴタの丘へと登っていきます。そこで、イエスは裸にされ、十字架につけられました。極めて残酷な刑でした。しかし、それだけではなく、ユダヤ人たちの悪口とあざけりを受け、その苦しみは人間の言葉では、言い表せないほどのものでした。

マルコ16.1~7

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

十字架のイエス
モザイク:Fr.マルコ・ループニク


こうしてイエスは非業の死を遂げました。それは惨めな、惨めな死でした。マルコによる受難物語は、イエスの惨めな死のありさまを赤裸々に語ります。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。この言葉は、旧約聖書「詩編22」の冒頭の言葉です。この詩編は、苦しみにある新校舎の祈りとして、イスラエルの民が大切にしてきたものです。詩編では、始めは自分の苦しみを神に訴えていますが、最後は神への信頼をもって終わっています。イエスが死の苦しみと闇のどん底にあって、なおも神に呼びかけたこと、神への絶対的な信頼を失わなかったことをうかがわせます。

わたしたちは、今、ご聖体のイエスのみ前にいます。イエスは約2000年前、ただ一度十字架にかけられました。しかし、今も、特に毎日ささげられるミサにおいて、わたしたちのために、ご受難を新たにし、ご自身を御父に奉献してくださいます。

今、このことを心に留め、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

『パウロ家族の祈り』:「イエスのみ心に向かう祈り」 ⑦ 

  師イエス、
  わたしのためにいのちをささげてくださった、
  かぎりなく柔和なみ心に、感謝と賛美をささげます。
  あなたの御血、御傷、むち打ち、いばらの冠、十字架、うつむいたみ顔は、
  「友のために自分のいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない」と
  わたしの心に語ります。
  羊飼いは羊がいのちを得るため、ご自身をささげました。
  わたしもあなたのためにいのちをささげ尽くすことを望みます。
  いつでも、どこでも、すべてにおいて、栄光のためにわたしを使ってください。
  いつも、わたしが「み旨のままに」と言うことができますように。
  あなたと人びとに対する愛の火を、わたしの心に燃え立たせてください。

  イエスのみ心、いっそう深くあなたを愛することができますように。

「すべてが終わってしまった。すべては真っ暗闇……。」イエスに従っていた弟子たちは希望を失い、そう思っていたことでしょう。しかし、父である神は人間が想像もできないようなことを、計画しておられました。

マルコ15.33~37

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 そして、週の初めの日の朝早く、日が出るとすぐ墓に行った。 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」  

若者とマグダレナと復活したイエス
モザイク:Fr.マルコ・ループニク 若者とマグダレナと復活したイエス


イエスの死を目撃した女性たちは、遺体に油を塗るために、墓にやって来ました。当時のユダヤの墓は、岩をくりぬいて作られていて、入り口は女性たちだけでは動かせないような、大きな石で封じられていました。見ると、その石が転がしてあります。墓の中では、天使のような若者がいて、女性たちに告げます。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」そして、「ガリラヤに行くように」と弟子たちに告げるように、女性たちはメッセージを託されます。

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」イエスの「復活」とはいったい何でしょうか。イエスの遺体が生気を取り戻し、起き上がって墓から出ていった、「蘇生した」ということなのでしょうか。イエスの体は、その魂とともに、神の栄光に輝く、永遠のいのちにあずかるものとされました。もはや死ぬことはなく、場所や時間に制限されることもありません。イエスは弟子たちの前にご自身を現されて、復活なさったことをあかしなさいました。

ここにこうしているわたしたちも、人生の歩みの中で、あるとき、イエスと出会いました。復活したイエスを目の当たりにした弟子たちとは違いますが、何かのきっかけをとおして、人との出会いをとおして、目に見えない形で、イエスと出会い、キリスト教と出会いました。「わたしはイエスとの出会いがまだありません」という方も、おられるかもしれません。しかし、今日ここにこうして、お祈りにいらっしゃったことが、イエスとの出会いの始まりかもしれません。イエスがあなたの心のドアをたたいているのかもしれません。

わたしのイエスとの出会いは、どのようなものだったでしょうか。このことを思いめぐらしながら、しばらく、沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

『パウロ家族の祈り』:「イエスのみ心に向かう祈り」 ③

  師イエス、神のひとり子である あなたを礼拝します。
  あなたは、人びとにいのちを、しかも豊かないのちを与えるために
  この世に来られました。
  十字架の死をとおしてわたしたちにいのちをかち得、これを洗礼によって与え、
  聖体とその他の秘跡によって成長させてくださることを感謝します。
  師イエス、わたしたちが精神を尽くし、力を尽くし、心を尽くしてあなたを愛し、
  あなたへの愛のために隣人を自分のように愛することができるよう
  わたしたちに聖霊を注ぎ、あなたの住まいとしてください。
  いつの日か、わたしたちが栄光のいのちに呼び起こされ、
  あなたとともに永遠の喜びに入ることができるように
  わたしたちのうちに愛を増してください。
  道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。

イエスの死と復活は、わたしたち人間の知性で理解するのは容易なことではありません。罪を犯さなかった神である方が、なぜこれほどまでに苦しまれたのでしょうか。御父の「すべての人を救いたい、永遠のいのちを与えたい」という思いは、イエスがご自身を十字架の上でささげたことによって、成し遂げられました。

イエスのこの愛に感謝しながら、新しく始まったこの月、特に復活祭を迎えるにあたって、イエスとともに歩む心を新たにして、歌いましょう。

『祈りの歌を風にのせ』p.36 「主と共に」 ① ② 

この祈りの時間にいただいた恵みを思いめぐらし、沈黙のうちに感謝をささげましょう。

(沈黙)

ご一緒に父である神をたたえて、主の祈りを唱えましょう。

  天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。
  み国が来ますように。
  みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
  わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
  わたしたちの罪をおゆるしください。
  わたしたちも人をゆるします。
  わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
  アーメン。

父である神よ、ここにこうして集まり、祈りをささげたわたしたち一人ひとりを祝福してください。御子イエスの死と復活をともに感謝して祈ったわたしたちが、あなたの恵みに助けられて、日々の生活をイエスとともに歩んでいくことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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