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教会カレンダー

B年 年間第2主日

第1朗読 サムエル記上 3章3b~10、19節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 6章13c~15a、17~20節

福音朗読 ヨハネによる福音書 1章35~42節

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今日から年間の主日がはじまりましたが、今日の典礼のテーマは、神の呼びかけの神秘です。

神との出会いは、いつも神が先に人に呼びかけ、訪れてくださり、ご自分を示されることによってはじまります。

神から近づいてくださるのでなければ、私たちには神のことは分かりません。

神が呼びかけてくださるので、私たちは神との出会い、対話に生きることができるようになります。

今日、神はあなたにどう呼びかけてくださっていますか。
 神から呼ばれる、ということを今日は祈り、それに心を開いていきたいものです。

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今日の第1朗読は、祭司エリのもとに預けられた少年サムエルが、神の言葉を受けた時のことが述べられています。

サムエルは救いの歴史の中で、大きな役割を果たし、モーセ、アロンと並んで最も効果的な代願者とみなされていました。

サムエルは、紀元前1050年ごろ、イスラエルに対するペリシテ人の圧迫が頂点に達したころに、民を導いた預言者です。

今日読まれるサムエル記上3章の冒頭には、「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」とあるように、当時の人々の宗教的状態は必ずしも良いものではありませんでした。

祭司エリの2人の息子もその務めをなおざりにし、悪行にふけっていました。そのような時に、民の指導者としての召命を受けたサムエルの記事が、今日読まれるのです。

今日の朗読箇所がよく分かるためには、サムエルの誕生から エリのもとに預けられた過程が書かれている1章から読まれることをお勧めします。

エリのもとで成長するサムエルに、ある夜神が臨むのです。まだ神を知らない、神の言葉の託宣を体験したことのないサムエルは、神の声を祭司エリの声と思い、エリの所へかけつけます。

エリは呼ばれているのは神であると気づき、彼にどのように応えたらよいかを指導します。

神の呼びかけを受け、応答する少年サムエルの祈りの姿は、絵に描かれ、キリスト者を越えて世界中の人々から愛されています。この絵は私たちを祈りに誘います。今日、このイメージを前に、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と祈ってみてはいかがでしょうか。

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今日から年間第6主日まで、第2朗読では、コリントの信徒への手紙1の6~10章までが朗読されます。コリントの教会は、パウロが建てた教会の一つで、彼はここの信徒たちにエフェソから手紙を書きました。

コリントの教会は、淫乱(いんらん)をきわめた町でした。そこに住む信徒たちは、その風土の影響をどうしても受けやすいものです。

今日の箇所は、信仰さえあれば、なんでも許されると主張し、みだらな行いを正当化する人に対し、パウロは、「体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです」と、キリスト者の基本原則を述べます。

「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか」と問いかけ、呼びかけます。

みなさんは、どう考えられますか。

「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」であるとのパウロの言葉をかみしめたいものです。

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今日の福音は、最初の弟子がイエスに出会う劇的な場面が書かれているヨハネによる福音書が読まれます。

今年はB年なのに、なぜ、今日の福音はヨハネによる福音書が読まれるのだろう? と疑問をいだいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そうなのです。マルコによる福音書は、他の福音書と比べて短いので、いくつかの主日にはヨハネによる福音書が読まれます。今日はその例のひとつなのです。

福音書で、洗礼者ヨハネが、「見よ、神の小羊だ」と言う証言を聞いて、2人の弟子がイエスに従い、イエスとの最初の出会いをしたことが報告されています。今日の福音に続いて51節までには5人の弟子の召命について語られているので、みなさんにも読まれることをお勧めします。5人の中の2人は洗礼者ヨハネの証言によってイエスの方に行ったことが今日の福音に記されています。

イエスは、彼らに向かって、「何を求めているのか」と尋ねられます。この言葉が洗礼者ヨハネからイエスに移行する弟子たちに向ける最初の言葉であり、ヨハネが福音書で記している最初のイエスの言葉なのです。

これこそ、イエスがご自分に従うことを望む人に最初にされる問いかけであり、イエスの招きです。

ヨハネはこの質問を、福音書の最後にも登場させます。「だれを捜しているのか」(20章15節)と。

あなたは、この問いかけに何と応えるのでしょうか。

弟子たちは、「ラビ どこに泊まっておられるのですか」とイエスに応えています。2人は、イエスの生活に触れたい、知りたいと願ったのです。そして、2人はイエスの所に留まります。

どうもヨハネは、イエスの弟子となるプロセスを「泊まる」、「留まる」という体験を中心に描いているようです。
 イエスの所に留まって、共に生きることにより、彼らはイエスの神秘に触れていくのです。

今日、みなさん、イエスの問いかけ、招きに応えながら、イエスのもとに留まって一日を送ってみましょう。留まることは、私たちにとって、「イエスに出会った」と宣言し、仲間をイエスの所に導いて完成することなのです。

祈り

天地万物を治められる神よ、
  あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
  世界に平和への道を示してください
      集会祈願より

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第1朗読 サムエル記上 3章3b~10、19節

サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。

主はサムエルを呼ばれた。
サムエルは、「ここにいます」と答えて、

エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。
しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、
サムエルは戻って寝た。

主は再びサムエルを呼ばれた。
サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。
エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。

サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。

主は三度サムエルを呼ばれた。
サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。
エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、

サムエルに言った。
「戻って寝なさい。
もしまた呼びかけられたら、
『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」
サムエルは戻って元の場所に寝た。

主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。
「サムエルよ。」
サムエルは答えた。
「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

サムエルは成長していった。
主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。

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第2朗読 コリントの信徒への手紙一 6章13c~15a、17~20節

体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、
主は体のためにおられるのです。

神は、主を復活させ、
また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。

あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。

しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。

みだらな行いを避けなさい。
人が犯す罪はすべて体の外にあります。
しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。

知らないのですか。
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 1章35~42節

その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。

そして、歩いておられるイエスを見つめて、
「見よ、神の小羊だ」と言った。

二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、
「何を求めているのか」と言われた。
彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」
と言うと、

イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。
そしてその日は、イエスのもとに泊まった。
午後四時ごろのことである。

ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、
シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。

彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、
「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」
と言った。

そして、シモンをイエスのところに連れて行った。
イエスは彼を見つめて、
「あなたはヨハネの子シモンであるが、
ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

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