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教会カレンダー

B年 聖家族

第1朗読 創世記 15章1~6、21章1~3節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章8、11~12、17~19節

福音朗読 ルカによる福音書 2章22~40節

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キリストの誕生をもって教会カレンダーは、降誕節に入ります。

クリスマス後の最初の日曜日に聖家族を祝います。8日間の間に日曜日がないときには、30日に祝います。この日、イエスの幼年時代の挿話を聞きながら、家族の意味を考えます。ナザレの聖家族が「福音の学舎」であると呼んだのは、教皇パウロ6世でした。

このナザレの小さな家庭、イエス、マリア、ヨセフに目を注ぎ、彼らをほめたたえるだけの祝日ではありません。彼らの家庭に目を注ぎながら、私たちの家庭を顧みるのです。私たちの家庭が神の愛に満たされるよう、祈り、願い、心を新たにすることが大切です。

神の望んでおられる人類の一致と平和をはぐくむのは、家庭という小さな共同体、最も小さな社会からはじまるのではないでしょうか。

パレスチナ、アフガニスタン、イラク、北朝鮮による拉致された家族、南北に分断されている朝鮮半島の家族、世界各地で難民生活を余儀なくされている多くの家族……など、ここに掲げきれないほどの家族をも私たちの心に抱きたいものです。聖家族も、イエスの誕生後すぐにエジプトへの避難の旅を余儀なくされました。

心に抱いて祈る、それは大海の一滴の行為かもしれませんが、あきらめることなく、小さな家庭の平和のために祈ることは意義あることです。

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第1朗読は、ABC年共通の朗読を読むこともできます。それは、シラ書(集会の書)3章2~6、12~16節です。
  ここでは、親に対する子のあり方、両親、特に年老いた両親に孝養を尽くすようにと教えています。

B年固有の朗読として読むことができるのは、創世記15章1~6、21章1~3節です。
  「子孫を増やそう」との神の祝福をいただいたにもかかわらず、アブラハムとサラには子がありませんでした。しかし、神はこの年老いた夫婦に男の子が生まれるとの約束をします。

しかも星のように、と言われます。かの地の空は澄んでいるので、それはそれは数えきれないほどの星です。それこそ満天の星空で、神から外に連れ出されて星を見せられたアブラハムは、何を感じたのか、と思います。

聖書は、「アブラムは神を信じた」とだけ書いています。
  事実、神は約束を実現されたのです。

教会が聖家族の祝日にこの聖書を私たちに指し示すのはどういうことか、そんな思いを抱いてこのみ言葉を聞いてみてはいかがでしょうか。

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ABC年共通の第2朗読では、コロサイの信徒への手紙3章12~21節を読みます。
  そこでは、家庭における愛の生活を説いています。

夫と妻、親と子がどのような心構えをもって家庭生活を送ったらいいか、キリスト者として新しくなった身分から、全く新しい人間関係、とくに家庭内での新しい秩序についてのべられています。「すべてを完成させるきずなです」とパウロは言います。家庭におもいやり、ゆるしあい、大切にしあう心、キリストの平和が満ちあふれますように。

B年は、ヘブライ人への手紙11章8、11~12、17~19節が読まれます。

ヘブライ人への手紙11章は、旧約の人々がどれほど信仰によって生きたかを語っています。今日の箇所は、信仰の父と呼ばれるアブラハムの生涯から、彼の信仰あふれた出来事を示す箇所が選ばれています。

一つの家庭の中には、いろいろの出来事があるものです。それをどのように自らのうちに受け止め、生きるのか、ヘブライ人への手紙の著者は、この章の冒頭に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。……信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」と言っています。

この言葉によって今日の朗読箇所を読み、自らの生活を照らしてみることにより、有益な1日を過ごせるかもしれません。

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イエスの幼年時代の家庭生活について語るのは、マタイとルカですが、今年はルカ福音書が読まれます。

イエスは両親に伴われて、エルサレムの神殿に奉献のために行きます。そこで、神の救いを待ち望んでいたシメオンとアンナに出会います。

今日の話は、旧約のサムエル記上1章と民数記6章を読んでみると、イエスの奉献の出来事の意味が理解しやすくなります。

ルカ福音書では、洗礼者ヨハネと出来事とを平行して記していますが、このイエスの神殿での奉献については、ヨハネは書いていません。つまり、ルカはこの出来事の意味をイエスにだけ見ていたということが出来ます。つまり、イエスは神に聖別された人として、「異邦人を照らす啓示の光」として、律法に従ったのだとルカは言っているのです。

「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」という2節に描かれている行間に、やがて宣教のために公の生活が開始されるその時までの30年の生活が隠れています。

聖家族の生活について、想像の限りをつくして、イメージし、この構成メンバーであるイエス、マリア、ヨセフと会話し、その中にいれていただきなら、家族と親しく過ごす1日としてはいかがでしょうか。

祈り

恵み豊かな父よ、
   あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。
   わたしたちが聖家族にならい、愛ときずなに結ばれて、
   あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 創世記 15章1~6、21章1~3節

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」

アブラムは尋ねた。
「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。
わたしには子供がありません。
家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」

アブラムは言葉をついだ。
「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、
家の僕が跡を継ぐことになっています。」

見よ、主の言葉があった。
「その者があなたの跡を継ぐのではなく、
あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」

主は彼を外に連れ出して言われた。
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。
「あなたの子孫はこのようになる。」

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

主は、約束されたとおりサラを顧み、
さきに語られたとおりサラのために行われたので、
彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。
それは、神が約束されていた時期であった。
アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付けた。

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第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章8、11~12、17~19節

信仰によって、アブラハムは、
自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、
これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように
、多くの子孫が生まれたのです。

信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。
つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。
この独り子については、
「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。

アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。
それで彼は、イサクを返してもらいましたが、
それは死者の中から返してもらったも同然です。

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福音朗読 ルカによる福音書 2章22~40節

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、
両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、
家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しい人で信仰があつく、
イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
とのお告げを聖霊から受けていた。

シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
イエスを連れて来た。

シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

これは万民のために整えてくださった救いで、
異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」

父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。
この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、 また、反対を受けるしるしとして定められています。

― あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ―
多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。
非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。
彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
そのとき、近づいて来て神を賛美し、
エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、
自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

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