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第140回 対神徳–(3) 愛


信仰、希望、愛という3つの対神徳のうち、信仰と希望にについて以前だけお話いたしました。今回は、愛の徳についてお話いたしましょう。


信仰、希望が対神徳の一つであったように、愛も対神徳です。この愛によって、わたしたちは神をすべてに越えて愛し、神への愛のゆえに、隣人を自分自身と同じように愛するのです。

イエスの愛は、「新しいおきて」と言われています。それは、イエスご自身が弟子たちや人々を愛し、その愛をこのように、使徒たちに残されたからです。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたたちを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」。「わたしが愛してきたように、互いに愛し合いなさい。これがわたしのおきてである」と。

この愛があれば、わたしたちは神と御子キリストのおきてを守ることができるのです。

キリストは、わたしたちがまだキリストを知らず、キリストに背を向けて生活しているにもかかわらず、わたしたちを愛して、ご自分のいのちをささげてくださったのです

このキリストを愛することがなければ、「無に等しい」と聖パウロは書いています。「愛の賛歌」と呼ばれているコリント人へ宛てた手紙には、「信仰と、希望と、愛、この3つはいつまでも残る。その中でももっとも大いなるものは、愛である」と書かれています。

すべての徳は、愛によって生かされ、導かれながら実行されます。その意味で、愛は「完成させるきずな」であり、諸徳を諸徳たらしめているものなのです。

キリスト者は、愛によって生かされた倫理生活を実践することによって、神の子の自由を得ます。このようなキリスト者は、もはや、奴隷や雇われ人としてではなく、神の愛に応えるキリスト者として、神の前に立つのです。

愛の実は、喜び、平和、憐れみです、愛は慈善と兄弟的な忠告とをもとめられたようにキリストがわたしたちにしてくださった、「天の国」と「永遠のいのち」に生きるという約束に信頼し、聖霊の恵みの助けに寄り頼みながら、天の国と永遠のいのちを待ち望ませる徳なのです。

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