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第153回 権威 –(2)


第2項 社会生活への参加


1 権威 –(2)

権威について学んでいますが、今回も権威について続けましょう。

ある権威が倫理的に正当なものであるかどうかは、権威そのものに起因しているのではありません。ですから、その権威をあずかっている人は、専制的、独善的に行動するのではなく、常に、共通善のために奉仕することが求められているのです。自由と責任感に根ざした道徳的力を発揮して、それを実行に移すのです。

権威が合法的に行使されているかどうかを判断する基準は、その権威のもとにある集団の共通善を追求しているかどうか、さらに、その共通善を獲得するために、倫理的にゆるされている手段を用いているかどうかによるのです。

指導者が不正な法を発布したり、倫理秩序に反する措置を講じる命令を出したりした場合、当然なことですが、人々の良心を拘束することはできません。もし、そのようなことを権威者が行うならば、その権威は権威とは呼べず、圧政と呼ぶべきものになるのです。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、法の支配の原則を、『新しい課題』の中で、次のように述べておられます。「権威が行使される場合、国においては、立法・行政・司法の三権の間に釣り合いが保たれており、この三権とその責任範囲が、それぞれの領域を超えない状態が望ましいのです」と(44参照)。

この 『新しい課題』は、教皇レオ13世が出された画期的な社会回勅『レールム・ノヴァルム』発布百周年を記念して出されたものです。

『新しい課題』が語ることの中で、今回のテーマ権威に関して言えば、日本の政治・経済システムが神不在であることが、問題点として浮かんでくるのではないかと思います。

この機会に、同書を読み直すことも必要かもしれませんね。

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