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第188回 十戒は自然法


十戒は、神と隣人に対する人間の基本的義務を示すものです。この十のおきては、神によって、私たち人間の心に刻みつけられているものです。この十のおきては、神と人に対する重大な義務を含んでいます。ですから、この十戒は、根本的に不変であり、時と所を問わずに、つねに私たちに義務を追わせるものです。当然、誰かが、このおきてを免除してほしいと願ったとしても、免除することはできないのです。

十戒で示されているものの中には、それ自体としては、軽い義務しか課していないものもあります。例えば、侮辱的な言葉を言ってはなりませんが、これに背くことは普通、小罪にすぎません。これが大罪になるのだとすれば、その時の状況や、その言葉を言った人の意向によります。

「私を離れては、あなたがたは何もできない」

この言葉は、ヨハネ15章5節に書かれている「ぶどうの木のたとえ話」の中の一節です。私たちがイエス・キリストを信じ、その神秘にあずかり、そのおきてを守るとき、救い主がおいでになり、私たちの内で、御父と兄弟たちを愛してくださるのです。そして、聖霊の力によって、キリストご自身が私たちの行為の生きた内的基準となられるのです。そのとき、私たちの内に、新約の新しいおきて「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが、私のおきてである」ということを生きさせてくださるのです。

ヨハネ14章~17章をじっくりお読みくださることをお勧めいたします。

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