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 ぼくの神さま

2002年3月

EDGES OF THE LORD

ぼくの神さま

  • 監督・脚本:ユレク・ボガエヴィッチ
  • 音楽:ジャン・A・P・カズマレック
  • 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ウィレム・デフォー、
       リアム・ヘス

2001年 アメリカ映画 98分


人間としての良心が問われる

1942年、ナチスに占領されたポーランドの疎開先の農家で、カトリック信者と偽って生きのびることを決意したユダヤ人の少年を中心に描いた作品です。もうこれだけで、心が苦しくなりますよね。このような状況の中で、貧しい農家の家族はどこまで彼をかばい続けてくれるのだろうか……。

この映画は、人間の深い部分、キリスト教で言えば原罪にふれる部分を表現しているように思います。ポーランド人同志でも信用できないような極限状況の中で、どのように自分の良心を守って生き抜いていくのか……。人間として、大切な部分をテーマにしている作品です。

アメリアに住むポーランド人監督の、ルーツをたどる映画

監督のボガエヴィッチは、第2次世界大戦後にポーランドで生まれました。音楽家の父をもち、25年前、家族でアメリカに渡りました。ポーランドで何があったのか、周囲の大人たちは語ってくれません。過去を隠そうとしているような社会全体に不可解を感じた監督は、自分のルーツをたどろうと、3年の年月をかけこの映画を製作しました。監督は次のように語っています。

 「これは、ポーランド人が英語で脚本を書き、アメリカ人俳優が演じ、ポーラン
 ドで撮影された初めての映画だ。ひどくノンポリな私にとってこれは、今まで隠
 されてい来た痛々しい祖国の過去と向き合う作品なんだよ。」
                        (「劇場パンフレット」より)

タイトルの意味

原題の「EDGES OF THE LORD」は、パンフレットでは「主の栄光の及ぶ世界の縁」と訳されています。シンボル的にはそうでしょう。もう一つ具体的には、「聖体の端っこ」という意味があります。

映画の中に、その場面があります。村の神父(ウィレム・デフォー)は、農家に疎開して来たユダヤ人の11歳の少年ロメック(ハーレイ・ジョエル・オスメント)が、カトリック信徒と偽っていることをゆるしています。子どもたちから仲間はずれにされ、孤独の中にいるロメックが神父に尋ねます。「ぼくも、祝福を受けることができるの?」神父はロメックを、ミサで使うホスチア(聖体)を作る部屋へつれていきます。ホスチアは、小麦粉だけでできた薄い四角い生地を、丸くくりぬいて作ります。くりぬいた残りの部分、つまり「端っこ」はミサでは使われません。

ホスチアの「端っこ」は、ユダヤ人でありながらカトリックについて必死に勉強し、カトリック信徒と偽りながらも主の栄光のおこぼれにあずかり、生き延びようとしているロメックの姿を暗示しています。また当時この「端っこ」は、 ユダヤ人のことを表していました。

子どもから大人になる式である「初聖体」(最初の聖体拝領)の日、ロメックは他の子どもたちと一緒に神父から聖体を受けます。神父は丸い形ではなく、「端っこ」をロメックの口に入れます。神父は「端っこ」を与えることで、ユダヤ人としてのロメックの誇りを守ろうとしたのです。

するどいまなざしのトロ

子どもたちは、戦争ゆえに起きる悲惨な場面を、いくつも目の当たりにします。ナチスが禁じていた豚を飼育していた貧しいポーランド人の老夫婦が、ナチスにつかまります。神父の必死の努力のかいもなく、彼らは銃殺されます。木陰から見ていた子どもたちにとっては、衝撃的な場面でした。その日から9歳のトロ(リアム・ヘス)が、奇妙な行動をとるようになります。

トロは、ロメックが来た日から、12歳の兄のヴラデックと違って、ロメックを守ってくれました。最年少のトロも、他の子どもたちと一緒に「初聖体」のための勉強をはじめます。しかし、神父が老夫婦を助けることができなかったことから、自分が皆を助けなくてはと思うようになります。神父が子どもたちにすすめた「12使徒ごっこ」が高じて、イエスのように人々の罪をあがなうために、木にしばりつけてもらったり、帽子の下に茨の冠をかぶったりします。トロは、ロメックや苦しんでいる人々を救わなくてはいけない……と思うようになります。

そしてついにトロは、みずからユダヤ人の輸送列車に乗りこんでしまうのです。

両親が、自分を生き延びさせようとしてくれた思いを受け取り、どんなことをしても生きようと決心するロメックと、人間の罪深さを償うかのように自分のいのちを差し出していくトロ。画像からもおわかりのように、トロのまなざしは鋭く真剣です。夫を殺された悲しみに打ちひしがれている母に対しては、イエスのようにやさしく彼女をいたわります。

ロメックの目も、トロの目も、自分がどう生きるのかの選択を迫られ、決断した強さを現しています。私だったら、こういう状況に置かれたときどうするのか、この小さな魂のように強く生きることができるのか、いのちを賭けても他者を守ることができるのか……、迫られる作品でした。

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