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 サラエボの花

2007年12月

Grbavica

サラエボの花

  • 監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ
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  • 出演:ミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ
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  • 配給:アルバトロス・フィルム,ツイン

2006年 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、
         オーストリア、ドイツ、クロアチア 95分

  • 岩波ホール創立40周年記念作品第1弾
  • 文部科学省特別選定作品
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  • 2006年ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)/エキュメニカル賞/平和映画賞
  • 2006年コズモラマ・トロンハイム国際映画祭:コズモラマ賞
  • 2006年ブリュッセル・ヨーロッパ映画祭:カンヴァステレビ作品賞/主演女優賞
  • 2006年エルサレム映画祭:スピリット・オブ・フリーダム賞
  • 2006年レイキャビク国際映画祭:ディスカバリー賞
  • 2006年テッサロニキ国際映画祭:女性と平等賞
  • 2006年ヨーロッパ・テンプルトン映画賞
  • 2007年東京国際女性映画祭参加作品

ボスニア・ヘルツェオビナの首都サラエボで暮らす12歳の娘を持つ母親が、この映画の主人公です。1992年にはじまったボスニア紛争では、20万人の人々が亡くなり、200万人以上の人々が難民となりました。そして、2万人の女性たちが、レイプされたと言われています。戦争を直接描かずに、戦争に隠れている辛い出来事が後世まで影響を与える影であることを、日常生活を舞台にして描いた作品です。

物語

女性たちが、集まって自分の体験を涙ながらに語っている。「話さないと、心の傷は癒えないわよ」とセラピストに言われても、エスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は口を開かなかった。

エスマには、12歳の娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)がいた。活発な子で、男の子たちの中に入ってサッカーをしていてサミルとケンカになった。しかし、互いの父親がシャヒード(殉教者)とわかり、二人は親しくなっていった。紛争で亡くなった兵士たちはシャヒードと呼ばれ、人々から尊敬されていた。

エスマは、サラとの生活を支えるために、ナイトクラブで働くことにした。子どもがいることを隠して働くエスマだったが、男性が近づいてくるだけで耐えられなくなり、また店の女の子がお客と戯れるのをみて気分が悪くなってしまった。

修学旅行の時期になった。シャヒードの子どもたちは、父親戦死の証明書があれば、旅費が免除されるという。サラはエスマに証明書を願うが、エスマは証明書を出してもらうのは難しいのでお金を用意すると告げる。学校ではクラスメートたちが、戦死者のリストにサラの父親の名は載っていないとからかった。

サラエボの花

エスマが証明書を出さず旅費を払ったことを知ったサラは、父親について本当のことを教えてほしいとエスマに迫る。つかみあいのケンカになり、とうとうエスマは隠し続けてきたことを口にしてしまう。


紛争のとき収容所にいたエスマは敵の兵士にレイプされ、妊娠してしまったのだ。お腹の子を憎んだエスマは、お腹をたたいて流産させようとしたがかなわなかった。しかし、生まれたばかりの我が子を抱いたとき、「この世にこんなに美しいものがあるのか」と感動し、それ以来サラを大切に育ててきたのだった。

セラピーの集まりで、エスマは涙を流しながら自分の身に起こったことを語りはじめた

 

愛の最高の形がセックスだと信じていたジュバニッチ監督は、1992年、その考えを崩されました。監督は映画について、こう語っています。

 「セックスは戦略の一つとして、そして女性に屈辱を与える手段の一つとして利用されました。ボスニア戦争中、2万人の女性がレイプされたのです。当時、その地域の100メートル隔てたところに住んでいた私は、戦争よりもそのことに恐怖を覚えました。それ以来、レイプとその残虐な行為の果ての結果に、私は執着するようになりました。このトピックに関連するものはすべて読み、追いかけました。何故、私はこれらを調べたのか、何について知りたいと思ったのかわかりませんが、答えは私が出産したときみつけました。

 その経験は愛に満ち溢れていて、母性のすばらしさを実感したのです。そのとき、いろんな感情の魂が私の引き金になりました。ショックでした。そして自分に問いかけたのです。憎しみという感情の中で生まれてしまった子どもを持つ女性の、心を襲う感情とはすさまじいに違いないと。その瞬間、私はこの映画を撮ろうと思いました。そして、子どもに授乳しながらシナリオを書き上げたのです。」

収容所で拷問を受け、レイプされて妊娠した女性たちの多くは、スウェーデン、デンマーク、ドイツなどで出産し、多くの子どもたちは孤児院に預けられました。自分で育ている女性は多くなかったそうですが、ジュバニッチ監督は、こういう状態の中で出産し、子どもを育てている女性たちに会い、話を聞きました。脚本ができあがるまで、3年の年月がかかったそうです。

30代の若い監督が訴える“人間としての怒り”を表現した作品は、女性の立場から、戦争のない世界を実現するために訴えています。

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