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 311

2012年 2月

311

  • 監督:森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治
  • 配給:東風

2011年 日本映画 92分

  • 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011 正式出品
  • 第16回釜山国際映画祭 正式出品

大地が揺れ、巨大な津波によって、堤防も、町も、田畑も、何もかも押し流される映像が、連日テレビから流れていた。一日中テレビで見ていた作家で映画監督の森達也氏は、気分が重く何も手につかず、家にこもって泣いていた。そんなとき、映画仲間の綿井健陽氏から声をかけられ、他の映像仲間とともに被災地へと向かった。震災から2週間後のことだった。何をしたいのか、何ができるのかは分からない。しかし、とにかく自分の目で現地を見ること、それだけを目的に車に乗った。同行者は、誘ってくれた映像ジャーナリストの綿井健陽氏の他に、映画監督の松林要樹氏と映画プロデューサーの安岡卓治氏の3人。被写体にカメラを向ける仕事をしていた4人が、被災地に向かう自分たちの様子を撮影し、映画として公開することになった。

彼らが最初に向かったのは、福島第一原発のある地域。東北自動車道は、自衛隊の車列ばかりだ。原発から150kmの地点で、ガイガーカウンターのスイッチを入れてみた。数字はどんどんあがり、東京の数十倍を上回る数となった。

原発から50km圏にある三春町で一泊した。旅館で2人の青年にあった。そのうちの一人、地元の青年は言う。「東京電力のお陰で町は発展した。東電社員というのはステータスだった」。そこにはNHKの取材班も泊まっていた。彼らに同行しているノンフィクション作家の吉岡忍氏と話す。

2日目、浪江町に向かう。検問所がある。ここで検問に立っている警察官の被爆は大丈夫だろうか。20~30km圏内には退避勧告が出ており、町にはだれもいない。線量計は危機的な数値になっていた。しかし森監督は、建物の様子を見ようと、レインコートを着てカメラ片手に、雨の中を車から出た。集会所のような建物の中には、だれもいない。森監督は撮影を終え車内に戻ろうとして、皆から声をかけられた。「レインコートは外で脱げ」。しかし、外で脱ぎながら被爆する。車内に入るとき、開けたドアから放射能は入る。

放射能からの防護が甘いと気づいた4人は、作業着の店で防護服、マスク、ゴーグルなどを買い身につける。つなぎ目をガムテープで留め密閉する。だれがだれやら分からない。車内のシートもビニールで覆う。こうして原発から8kmの地点まで入るが、タイヤがパンクし、全員が車から外に出て修理をする。

取材姿勢と装備の曖昧さを反省し、福島から津波の被災地へと向かう。大半の子どもたちが亡くなった大川小学校、陸前高田市、大船渡市、仙台市、石巻市を訪れる。ガレキの中で我が子を捜す親たちのかたわらに立つ。遺体が見つかり、その様子にカメラを向けたとき、遺族から角材を投げられる。カメラを向ける理由を一生懸命説明する森監督。そのやりとりを心配そうにしかし客観的に見守る安岡監督。

 

線量計のガーガーという音を聞きながら次第に緊張していく4人、津波のすごさと亡くなった多くの人が見つからない情況の中で呆然とする4人。この4人をとおして、さまざまなことが見えてきます。ガレキと泥の中に家族を捜す、しかし、心の奥では、まだ何が起こったのか受け止められない。避難生活が苦しくなり始め、放心状態と生きていかなくてはいけないという思いとで混乱する。崩れ去った我が家の跡に来て、生きていたときの家族の面影を探す……。4人が車を走らせた“震災から2週間目”という「時」は微妙な時だったように思います。それは、新聞やテレビからでは分からなかった、被災地の真っ直中からのメッセージです。

※ 映画のチラシは、彼らの防護服の姿です。

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