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第2バチカン公会議から50年

「信仰年」を前に

第2ヴァチカン公会議開催50周年(前編)

岡田 武夫(おかだ たけお)

カトリック東京大司教区大司教

第2ヴァチカン公会議は1962年10月11日にヴァチカンで開催されました。今年でちょうど50周年を迎えます。

 この度、編集部より寄稿の依頼を受け、この半世紀の日本の教会の歩みを振り返り、自分自身の歩みと重ね合わせながら、いま思うことを記してみたいと思います。

 わたくしは第2ヴァチカン公会議が開催されている真っ最中の1963年のクリスマスにプロテスタントの信徒からカトリック信徒になりました。この転会(当時は改宗と言っていました)の動機は、公会議とは全く関係のないものでした。

 わたくしはある日本基督教団の教会で楽しく充実した教会生活を送っており、その教会に不満はなかったのです。わたくしは、日曜礼拝をはじめとするさまざまな活動、祈祷集会、聖書研究会などに積極的に参加しておりました。

 ところが信仰生活の中で難問に遭遇したのです。その問題は「人間の自由意志と神の恩恵の関係」ということでした。牧師の先生に聞いても納得の行く回答が得られませんでした。それはわたくしにとって非常に大きな人生上の問題でありました。たまたまカトリック教会の教えに接し、その緻密精巧な神学理論に魅せられてわたくしはカトリック教徒になりました。

 ところが皮肉なことに、カトリック教会に入ってみると、その教会が急速に変化して行きました。カトリック教会が、自分が出てきたプロテスタント教会のような教会に変わってきたのです。典礼は国語化され、聖書の勉強が奨励され、「公教要理」はあまり教えられなくなりました。

 確か1964年ころと思いますが、まさに第2ヴァチカン公会議開催のさなか、上智大学でエキュメニカルなシンポジュウムが行われました。講師はカトリックからはペトロ・ネメシェギ神父、プロテスタントからは『神の痛みの神学』で有名な北森嘉蔵師でありました。ネメシェギ神父は、「いまローマで非常に重要な歴史的な会議が開催されている」と言われました。第2ヴァチカン公会議が教会の歴史上、非常に重要である、と強調されました。

 ところでこのシンポジュウムの論点は「義認と義化」という問題に絞られました。そして結論は、カトリックとプロテスタントの間には、この問題に関して、大きな相違はない、ということでした。北森師は、「いまネメシェギ神父さんの言われたことと同じことを教皇様にも言っていただきたい」と言われました。そのことが非常に強く印象に残っています。

わたくしがカトリック教徒になったのは、いわば自分のため、自分の信仰、自分の救いのためでありました。しかし公会議は福音宣教する教会、世界の現実に深い関心を寄せる教会の姿を示しています。

 公会議の目的は公会議を召集したヨハネス23世の演説の中によく現われています。

 「公会議の目的は、何らかの謬説を排斥するとか、昔から宣べ伝えられてきた教理を繰り返すことにあるのではなく、キリスト教の真髄を現代人にふさわしい形で表現し直し、慈しみ深いものとして教会の姿を示し、現代人がキリストの救いの教えを一層よく受け入れることができるように司牧的に配慮し、すべてのキリスト者の再合同に向かって尽力することにある」(「新カトリック大事典、ヴァチカン公会議、第二、ネメシェギ師担当、より」)

 この言葉から見れば、第2ヴァチカン公会議とは、組織としての教会を守り、建て直し、強化するための会議ではなく、現代世界のなかで現代人に救いの福音をどのように伝えることができるか、を課題にしていた会議でありました。教会が人々と世界によりよく奉仕することが動機になって開催された会議です。

 第2ヴァチカン公会議の開催の趣旨は「刷新」あるいは「今日化」(アジョルナメント)という言葉で表現されますが、その内容を簡潔に文章で言えば、上述のヨハネス23世の言葉がわかりやすいと思われます。

 公会議は1965年まで四会期にわたり4年間開催され、「典礼憲章」などの4憲章、「信徒使徒職教令」などの9教令、「信教の自由宣言」などの3宣言、合計16の公文書を発表して閉幕しました。

 公会議の教えは世界に大きな影響を及ぼしました。種々の改革が行われましたが同時に混乱と対立も引き起こしました。

 1965年から75年までの自分の歩みを振り返ってみると、大学卒業、就職、神学校入学、司祭叙階、小教区への任命、という非常に変化の多き人生でありました。

 日本のカトリック教会の変化も目覚しく、大きな刷新が行われましたが、同時に混乱も起こっていました。司祭養成のための講義にも、急激な変化に対応しきれない、という部分もあったと思います。前述のような動機でカトリックになったわたくしですが、公会議の精神に基づく新しい神学については戸惑いを感じざるを得ませんでした。


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