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第2バチカン公会議から50年

教皇フランシスコのメッセージ

村田 稔(むらた みのる)

カトリック大阪教区司祭。
カトリック堺教会司牧チームモデラトール

教皇フランシスコは、9月1日の「お告げの祈り」のときにメッセージを発し、全世界のカトリック教会に行動を促しました。教皇は9月7日を「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」にすることを決め、カトリック教会をはじめキリスト教のきょうだい、他宗教の信徒、善意の人々にできるかぎりこれに参加するように呼びかけたのです。そして教皇ご自身は、7日の午後7時から午前0時までの長時間、サンピエトロ広場で、シリアの平和を祈る典礼を主催されました。

メッセージを聞いて特に心に強く響いたのは「断食」をすることです。シリアが大変な状況にあること、戦争は絶対に起こしてはいけない、と積極的に語りかけて、全世界の教会に思いを伝えられましたが、そこに「断食」という行為が加わったことに、これまでとは違うものを強く感じました。通常ですと「祈りましょう」という呼びかけになりますが、今回はそこにとどまってはいませんでした。ここに教皇のイスラムへの思いを感じました。

さらに今回の大きなポイントは、教皇が具体的に国の名前をあげて、その人たちのことを思い、その大変さを共感しなければならない、とおっしゃったことにあると思います。シリアという、アメリカにとっての「敵」を攻撃しようとしている、そのアメリカ、そして全世界に、きょうだい愛を訴えておられます。国名をあげて、あなたたちは自我を捨てて話し合いなさい、と言い切られています。「いま世界は大変な状況にあります。特に中東世界のため、あるいは世界平和のために祈りましょう」というような、あいまいなものではありません。この発言は、アメリカ社会やヨーロッパの国々にとっては、いろいろな意味あいで「敵」国となる、その彼らの「敵」に味方したようなものでもあるのです。こうした発言をこれまでのバチカン内で検討されれば、それこそいろいろな理由を持ち出して従来どおりの発言になったのではないかと思います。それができなかった、しなかったというのは、これまでの体質に一つの大きな穴があいたように感じます。

そういう意味で今回、教皇は具体的な変革の実践をなさったように思います。日本の一般メディアでの報道は耳に入らなかったので、残念ながら何も報道されなかったのではないかと思うのですが、ここ大阪・堺教会では当日の夜、みなで祈りましたし、大阪教区としてはプロテスタントや仏教の方たちを招いて合同祈祷会を催して一緒に祈りました。このようなことが各小教区で実践されていけば、一つの流れになっていくと思います。戦争はよくない、と断言なさっているのですから、私たち自身も戦争を起こさないような努力を続けていく。かつてあった聖戦論がなりたたないことを私たちは十分理解しています。それならば戦争ができない、しない、という現日本国憲法の大切さもよりよく見えてきて、これを変えることは容認できないのです。

現教皇は着座のときから、小さな行為のように見えますが、具体的に行動を起こされています。それによって変化が見えてくるような期待があります。前教皇ベネディクト16世も、教皇交代という大きな決断をくだし、実現されました。実際に辞めることができたのは、これまでの歴史上、考えられない出来事です。英断だと思います。これもそれまでのバチカン内の体質に穴をあけた行為だと思います。カトリック教会全体としての急激な変化はむずかしくても、変革へのきざしを感じます。

今年12月に福者ヨハネ23世が列聖されますが、ヨハネ23世の功績は、バチカン公会議を始めようとされ、そして実際に始められたことにつきると思います。改革する、といっても教会というのは大きな船ですから、並みの力ではできません。また、聖なる公教会を傷つけてはいけない、という発想も生まれ、なにもできないことにもなりかねません。そのなかで、教皇は「教会は常に変革されなければならない」ということを実践されました。そのことを、第2バチカン公会議から50年、そしてその公会議を始めたヨハネ23世が列聖される、という今の時点で振り返り、忘れていることがあれば思い出す努力をする。聖人の意向に従いましょう、という祈りはもちろん大切ですが、祈りだけをするのではなく、自分が自分なりに行動に移していくことがより大切だと思います。

ヨハネ23世ははじめのころ、ずっと公会議をリードなさっていました。いわれているように、いろいろな対立があり、そのなかで教皇の決断がありました。それで公会議を始めることができましたが、公会議開催途中で亡くなられた。でも次のパウロ6世教皇がそれを継続していくのですから、つなげることができた、ということも彼の大きな力だと思います。ヨハネ23世は教会の改革の必要性を心底感じていらしたのだと思います。教皇になられる前から、そしてなられたあとも、聞き取る「耳」と見極める「目」をもっていらした。たとえば典礼の改革にしても、ヨーロッパでは公会議前からいわゆる違法ですけれど、自国語で典礼を行っていました。そういう行為をきっちり見ていらしたと思います。そういう面でも目は開いていたし、耳もジャンボになって、見聞きしていらしたと思います。だからこそ余計に、改革の必要性を感じて、ある意味で強引のようにみえても公会議を始められたと思います。

今回の教皇フランシスコの「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」開催のメッセージで、世界平和のために何をすることができるでしょうか、と、ヨハネ23世が出された回勅『パーチェム・イン・テリス(地上の平和)』を引用して「平和と愛に基づく共存関係を再構築するのは、すべての人の務めです」と呼びかけられました。そして当日、教皇は語られました。

「私たちはこうした悲しみと死の連鎖から抜け出すことができるでしょうか? もう一度平和の道を歩み、生きる術を学ぶことができるでしょうか? それはだれにでもできることです! ……暴力で暴力に応えてはなりません。十字架の沈黙のうちに和解とゆるし、対話の言葉が語られます」(談)


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