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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第13回 マタイ5章17-20節 律法について 1


トーラーを読む

5章17-20節はマタイ福音書固有の記事、つまりマタイに先立って世に出たマルコ福音書にも、マタイと前後して書かれたルカ福音書にも、最後に生まれたヨハネ福音書にも見られないものです。マタイがあえてこれを書き入れているという事実のかげには、マタイの思い入れがあるのではということで、いつもより詳しくみることにしました。

17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するため(に来たの)ではなく、完成する(成就するとも訳せる)ためである。

思ってはならない

「思ってはならない」は、誤解してはならないと言い換えることができましょう。誤解の対象は「何のために来たか」ということについてです。イエスが来られた目的は、律法や預言者を廃止するためではなく、それらが目指していたことを成就するためです。

律法や預言者

マタイはこの表現で聖書(わたしたちにとっての旧約聖書)全体を意図していると思われますが、7章12節でマタイは、律法や預言者の要点は「人を大切にする」ことだ、と次のように言い切っています。  「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」 

さらに22章37-40節には、「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。

第2も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この2つの掟に基づいている」とあります。

5章17-20節は以上を念頭において読むとわかりやすくなります。イエスはこのように理解された神の言葉(=律法と預言者、すなわち旧約聖書)が目指していたことを成就するために世に来られたかたなのです。

聖書で律法とあるとき、普通には、神がずっと昔シナイでモーセを通してイスラエルの民と契約を結ばれたときに与えてくださった律法を指します。イスラエルの民はその歴史のなかでたびたびつまずき、神に背き、契約を破り、律法に反して、神から戒めや罰を受けました。けれども預言者たちの言葉のなかには、憐れみに富んでおられる神がシナイで与えられたものに上回る律法を、シオンすなわちエルサレムで与えられることを謳っている箇所があります。イザヤ2章3節は救いの完成の時について歌いながらこう述べています。

律法(トーラー)はシオンから
主の言葉はエルサレムから出る。

紀元前6世紀、エルサレムがバビロニア(現代のイラクの地に栄えていた大帝国)によって滅ぼされたころ、預言者エレミヤは神からの照らしを受けて、神は民の不実を戒めるために亡国の苦しみを体験させられたが、いつかイスラエルと新しい契約を結び、シナイの律法を上回る律法を授けてくださることを次のように預言しています。

33 来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法(トーラー)を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
(エレミヤ 31.33~34) 

同じころ預言者エゼキエルも、神が民に、ご自分に聴き従う新しい柔軟な心と新しい霊をおいてくださることを謳っています。

25 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。

26 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

27 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
(エゼキエル36.25~27)

預言者たちはこのように、シオン(=エルサレム)から救いが出ること、同時に新しい契約が結ばれ、新しい律法(トーラー)が与えられるということを告げています。

けれども預言者たちの告げた新しい律法は、決してシナイ律法を無にするのではなく、それを超えるもの、否、むしろ活かしながら完成するものなのです。イエスはまさにそのためにこそ来られたのです。

成就するということは、ここで二つの面を持っています。律法を超えるイエスは、じつはモーセの律法そのものが指し示していたかたです。イエスは預言者を超えるかたでもあります。預言者たちはイエスについて語っているわけではありませんが、預言者の言葉は、将来神がイエスにおいて完成される救いを志向していました。その意味でイエスの働きには、旧約聖書との連続性があります。

他方、イエスによる旧約時代の約束の成就は単に律法の意味を完成した、あるいは預言者の言葉を成就したというところにとどまるものではありません。イエスはご自分の生死、業と言葉を通して神と人間との究極的で新しい関係の根元となられました。

神と人間との間にあった過去の関係を継続したのではなく、それを上回るまったく新しい形で、神と人間との関係を築いてくださいました。シナイの契約は神とイスラエルの民との間の契約でしたが、イエスの十字架上での死とその死からの復活によって成立した新しい契約は、もはや神とイスラエルに限られることなく、神と全人類との間の契約です。先の契約は、このことが実現されるためのものでしたが、新しい契約はそれをはるかに凌駕するものです。

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