home>活憲とヒューマンライツ(人権)>黙って従うまじめ社会の恐怖

活憲とヒューマンライツ(人権)

バックナンバー

黙って従うまじめ社会の恐怖

「あけぼの」2010年5月号より) 伊藤千尋


電車に乗るとすぐに流れるアナウンスがある。「不審な荷物をみかけたら車掌までお知らせください」。テロ後のアメリカでさえ、地下鉄や電車にいこんなアナウンスはなかった。いまどきの日本に不審物なんてあるわけがないじゃないか。

驚いたのは、愛知県の菜の花畑を通るのどかなローカル列車に乗ったときに、同じアナウンスが流れたことだ。こんな町にテロがあるとでも思っているのだろうか。むしろ、こんなアナウンスを流すことで日本全国を不安に陥れている。

テロといえば、あの9.11のテロの直後の空港の荷物検査は厳しかった。アメリカでは靴を脱がされたし、カバンに入れた常備薬も取り上げられた。だが、数年もするとそんなに厳しくなくなった。驚いたのは日本の空港での検査だ。カバンから服を一枚一枚取り出して、何か入ってないか調べられた。念入りにやるから時間がかかってしようがない。飛行機に乗り遅れそうになった。いくら何でも、ここまでていねいにやらなくてもいいだろうと怒りそうになった。

日本では、いったん決めたことは、杓子定規(しゃくしじょうぎ)にやろうとする。融通というものがない。係員は文字に書かれたことをそのまま実施する。こんなの、世界の非常識だ。世界では、時代の空気を読みながら人々はその社会に合うように適用していく。日本人は空気を読むのではなく、いったん書かれた文字にいつまでも従う。その結果、社会は息詰まるようになる。

列車の運行で「この列車は2分遅れています。ご迷惑をおかけして、まことに申し訳ありません」とアナウンスが流れる。2分くらいがなんだ。たった2分の遅れでこんなに謝るなんて、世界のどこにもない。ヨーロッパでは20分くらい遅れるのは普通だし、南米なんて2時間遅れるのが当たり前だ。

電車の時間を1分1秒まで正確にするために、運転士は大変な神経を使うだろう。遅れれば罰が待っているとなればなおさらだ。遅れた時間を取り戻そうとするために起きた列車事故もあった。正確さを求めるゆえに事故が起きるなんて本末転倒だ。

こんな時間にこだわるのは、世界でも日本くらいなものだ。日本に続いて時間に厳しいのはドイツだが、それでも3分までの遅れは遅れとはみなされていないと聞く。日本の新幹線の正確さは、驚異というより脅威だ。

豚インフルエンザの騒ぎのさい、日本中にマスクが普及した。あのとき、新幹線で大阪を通ると、町には人影がなかった。まるでゴーストタウンのようだった。大阪駅はマスクをした人だらけだった。はたから見ると、怖い集団だ。マスクをするのがいけないとは言わないが、こんなにいっせいに国民が同じ行動をとるなんて、よその世界ではありえない。同じとき、アメリカやヨーロッパに行ったが、マスクをした人なんてついぞ見かけたことがない。せいぜい、空港の係官のほんの一部くらいでしかなかった。

      ☆    ★    ☆    ★    ☆

まじめなことはいいことだ。でも、程度というものがあるだろう。そう思ったのは、中米の内戦を取材したときだ。1980年代にはこの地域で3つの国が内線をしていたが、国によって戦争の激しさが違った。

おおざっぱな国民性のニカラグアでは、戦争もおおざっぱだった。内戦の最前線に行って初めて知ったのは、戦争に「時間割り」があることだ。政府軍が砲撃をする時間、ゲリラ側が攻撃をする時間が決まっていた。両軍ともに死にたくないから、いつの間にかこんなルールが現場ではできた。ところが、隣のエルサルバドルでは違った。この国は「中米の日本」と言われたほど国民性が日本に似ている。つまりまじめなのだ。彼らは戦争もまじめにやっていた。その結果は悲惨な殺し合いである。まじめな国民性というものも考えものだなと思った。

日本の学校の朝礼では、「気を付け! 前にならえ」のかけ声で一直線に並ぶことを小学校時代から強いられた。中学の朝礼で覚えている風景は、整列したあと校長がぐだぐだと「あとで絶対に覚えていないような話」を長々とした。その間、暑い日差しに生徒が一人倒れ二人倒れ、先生に運ばれていく。それでも校長は話をやめない。今思えば、日本の教育はひたすら「忍」の一字を子どもたちにたたき込んでいたのではなかった。

コスタリカで学校を訪ねたとき、先生に「あなたの教育の目的はなんですか。と聞くと、「教え子が卒業と同時に自分の頭で考え、自分で自立して生きられるような人間を育てることです」という答えが返ってきた。これに対して日本の教育は、自分で考える人間を育てるのではなく、わけがわからなくてもいいから「正しいとされる答え」を頭から覚えこむロボットのような人間を作り出しているのではないか。

人間がロボットになるように強制されたのが第2次大戦下のナチス・ドイツだった。善良でまじめな市民が、独裁者を崇めることが当然だと思い込み、ユダヤ忍を平気で虐殺した。戦後のドイツはそれを反省したが、今の日本は戦前とあまり変わってないように見える。

南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)を根絶したネルソン・マンディラは、真の知性が必要だと説いた。他人の言葉を鵜呑(うの)みにしないで自分の頭で考えることが大切だと彼はさとした。要はそこだ。ただ世間様に従うのが本当のまじめさではない。自分の意志で情報を探し、自分の頭できちんと考えることが大切だ。



著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

▲ページのトップへ