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活憲とヒューマンライツ(人権)

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基地が消える時代

「あけぼの」2010年6月号より) 伊藤千尋


沖縄の基地をどこに移設するかをめぐって議論が百出したが、肝心な点での議論がほとんどなされなかったように思う。この時代に基地は必要なのか、という基本だ。

この4月初め、フィリピンで活動し3度もノーベル平和賞の候補に挙げられたシェイ・カレン神父が来日した。

カレン神父は布教のため故郷アイルランドからフィリピンに渡り、ルソン島のオロンガポ市で活動した。そこで見たのは悲惨な状況に置かれた貧しい家庭の女の子たちだ。彼女らは、オロンガポ市に隣接していた米海軍スービック基地やクラーク空軍基地の軍人たちを相手に身体を売って生計を立てたり麻薬を常習したりしていた。そうしなければ生きていけないほどの極貧生活亜だったのだ。それに心を痛めた神父は、彼女らを支援し虐待から救うためにNGO「プレダ基金」を設立した。1974年のことだ。

プレダ基金は、子どもが尊厳ある暮らしを始められるよう手助けしただけではない。そもそも米軍基地がここにあることが児童売春の元になっていることから、基地撤退のキャンペーンに取り組んだ。それは実を結んだ。

オロンガポ市の近くに米軍のクラーク空軍基地、スービック海軍基地があった。当時、沖縄をしのぐアジアで最大の米軍基地だった。それが1992年までに相次いでフィリピンに返還されたのだ。

直接のきっかけは火山の噴火だった。その前年、ピナトゥボ火山が大噴火したが、基地を抜けて逃げようとした人々に対して基地は門を閉ざした。これが全国を揺るがず問題となった。問われたのは、基地はだれのためのもんか、ということだ。

フィリピン政府は当初、米軍基地はフィリピン人の命を守るためにあると説明した。しかし、自然災害とはいえこのとき基地はフィリピン人を見捨てたのだ。そのような基地はいらない、という国民運動が起こった。フィリピンと米国の間には、日米安保条約に似た比米安全保障条約が結ばれており、ちょうどその更新の時期だった。フィリピン側は基地の貸与については更新しないと米国に通告した。その結果、一年後に基地が返還された。

もちろん、だれもが賛成したわけではない。反対論もあった。基地がなくなれば、42,000人いた基地労働者とその家族が生活できなくなる。彼らにとっては死活問題だった。日本でも基地返還の論議のときには同じ問題が出て、基地労働者の生活を守るために基地を残そうという意見がでがちだ。

でも、フィリピンとは違った。もっと積極的な発想をした。危険な基地労働でなく、平和な労働で生きていけるほうが彼らにとってもいいと考えたのだ。

政府と地元のオロンガポ市は、基地跡の再建案を市民に募った。そこで採用されたのが、プレダ基金の案だ。基地跡を六つの地区に分け、大型の輸送機も離着陸できる滑走路や広大な敷地を効果的に使って国際空港としたり、世界から企業を誘致したり、大学や病院を作り観光産業を開発するという内容だ。

これに沿って基地跡の再開発を進めた結果、米国や日本をはじめ世界から企業が入ってきた。5年後に私が現地を訪れると、かつて基地だった地区で働く人の数は67,000人に達していた。基地の時代の1.5倍に雇用が伸びたのだ。

「かつてここには核兵器があった。戦争の場が平和の場になった」とプレダ基金の活動かゴンサレスさんは胸を張った。

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フィリピンだけではない。米国からも基地が消えている。

米国の自治領、プエルトリコのビエケス島は「カリブ海の沖縄」と呼ばれた基地の島だった。第2次大戦中から米軍が使い、ナパーム弾や枯れ葉剤、劣化ウラン弾など新たに開発した兵器の実験場となった。島の東は射爆場、西は弾薬庫で、中央部に島民が暮らしていた。それが島民の反対運動によって2003年、基地は完全に撤退したのだ。

撤退が決まったときに島を訪れると、基地の前に白い十字架が約50立っていた。「軍事事故と環境破壊の犠牲になった人々を記憶するために」という看板が掲げてある。撤退運動をした島民が立てたものだ。撤退記念集会では「今日は市民の主権にとって新たな1ページを刻んだ」と司会者が叫んだ。

米国の本土からも基地は消えている。私は2001年から2003年まで米国に住んだが、この間、国内の基地が不要になって跡地が博物館に変わった、などの記事が新聞にいくつも載った。

今の戦争は、イラク戦争やユーゴ空爆でも見られたように、米国本土などから離陸した飛行機によって爆撃する。何も世界中のあちこちに基地がある必要はないのだ。沖縄に基地があるのはかつては必要だったかもしれないが、今は不要だ。

南米のエクアドルでは憲法に「他国の軍事基地を置かない」という条文を追加した。このため昨年末、国内の米軍基地が完全撤退した。これが今の世界の流れである。

そのような時代に、外国軍の基地を国内のどこに移すか、という議論をするのは日本くらいなものだ。フィリピンの基地返還のさいもフィリピン側がしめしたのは「いらない」の一点だけで、「どこに基地を移すか」ということなど話題にならなかった。「思いやり予算」の名で駐留米軍の費用を出すだけでも世界に例がないが、移設先まで思いやる日本政府の姿は、世界的に見ると非常識でしかない。



著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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