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活憲とヒューマンライツ(人権)

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スラムに見た虹

「あけぼの」2010年8月号より) 伊藤千尋


東京の我が家に、虹の旗を掲げて走る人を描いた陶器の絵皿がある。南米ペルーのスラムの住民が手作りした作品だ。職業訓練所で陶器の製作を習った生徒の作品である。

中南米の貧富の格差は、日本どころではない。考えられないほどの大金持ちがいると思えば、その日の食べ物もない人々があふれている。都市の周辺には、極貧層の人々が集まったスラムがあちらこちらにある。私が訪れたペルーのスラムは、人口が30万人という巨大な規模だった。

驚くのは規模だけではない。住民による自治体づくりに成功して、ノーベル平和賞の候補になったことだ。

このスラムの名を「ビジャ・エルサルバドル」と言う。スペイン語で「救世主の町」という意味だ。1971年に生まれ、来年で40年になる。

首都リマの南部。そこはもともと、砂漠地帯だった。南米大陸の太平洋岸には鳥取砂丘のような砂漠が広がる。私がこのスラムを最初に訪れたのは1986年だったが、当時は見渡す限り、砂漠にムシロの小屋が並んでいた。住んでいたのは、農村で生きていけなくなった農家の次男、三男とその家族らだ。彼らは職を求めて首都リマを目指したが、首都の街中に住む場所はない。結局は、郊外の砂漠に流れ着いたのだ。

ここでは「持たざる人々」が、共同で生きるすべを自分たちでつくり出していた。

スラムの一角では、中年の女性が大きなナベでシチューのような料理をつくっていた。「共同ナベ」と言う。男は首都に力仕事など働きに出るが、夫の収入だけでは家族を養えない。主婦も共働きするが、子どもの面倒もみなければならない。こんなとき、10世帯ほどが共同で組織をつくり、そのうち主婦8人が町に働きに出る。残りの2人が残された子どもたちのために昼の料理をつくる。こうして自主的な保育園のような仕組みをつくっていた。女性の仕事は町の家庭のホームヘルパーや子守などが主だったが、中には10人くらいでつくった竹ぼうき会社もあった。竹の枝を集めてほうきをつくり、それを町に売りに行く。これも、ほうきをつくる人、売りに行く人、子どもの世話係、と任務を分担していた。こうなふうに創意工夫し、助け合っていた。

その組織づくり、街づくりの中心になったのは、なんと学生と神父さんだった。

町長はアスクエタという名の若者だ。彼は、学生時代にこの町の人々を支援する活動を始め、そのまま住み着いてしまったと言う。日本でもかつて、貧しい地域の子どもの生活の面倒をみようと学生がセツルメント活動をしたが、同じようなことを南米の学生もした。

学生たちと並んで、この地域の人々が生きていけるようにと一生を捧げたのが、カトリックの若き神父たちだった。私が訪れたときにいたのは、アイルランドから来たキルケ神父だ。自ら志願してこのスラムに住み込み、貧しい人々と生活をともにしながら、彼らがより良き生活を送れるように尽くしていた。

実はアスクエタ町長はもともとマルクス主義者だ。それがカトリックの神父と手を携えてスラムの自治体づくりを進めた。マルクス主義とカトリックと、考え方はぜんぜん違うが、貧しい人が生きていける世の中にしようということで一致した。社会正義、公正な平等な社会の実現という目標が同じなら、考え方が少々違っていてもかまわないと考えたのだ。

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2度目にこのスラムを訪れたのは、11年後の1997年だ。あまりの変わりように驚いた。町はきれいに区画整理され、農牧地区、工業地区、住宅地区、海岸地区の4つの地区に分かれていた。家はほとんどブロックづくりで、ちゃんとした家になっていた。電気はもちろん、上下水道も完備していた。首都でさえ下水道の設備がないところがたくさんあったのに、スラムは完備なのだ。

無料で教える、立派な職業訓練所もあった。工業地区を回ると、工芸品やお菓子、金属、裁縫などの工場が並んでいた。2階建ての家具工場は、製品を外国に輸出するまでになっていた。女性の自立の支援をする「女性の家」もあった。仕事を始める女性のために小口のカネを貸す「連帯銀行」もあった。女性の権利や健康のために相談に乗る委員会、病気になったときの診療所、食堂もあった。町は国連の平和メッセージ都市に指定されていた。

3度目に言ったのは、その1年後の1998年だ。その1年間で人口がさらに5万人増えて35万人になっていた。住みやすいと評判になり、人が集まってきたのだ。町の問題は、町長を交えて関係する人々が集まって話し合う直接民主主義を実行していた。

町長は最初と同じアスクエタさんだ。彼は言う。「私たちは、偉大なユートピアを夢見た。国も首都も、いっさい何もしてくれなかった。我々の自力でここまでやった。砂漠を町に変えた」

さらに、「私たちは貧しく何ももたない人々が発展するためのモデルをつくり出そうとしている。今の世の中には、金持ちが自分たちだけで儲(もう)かり他の人をけ落とす新自由主義がはびこっている。私たちは発展の利益をみんなが公平に分かち合うようなやり方をしている」と語った。最後に言った。「だれもが何か、自分の力を出せるはずだ。一人ひとりがボランティアとして活動すれば、世界は変わる」

夢を抱いて、さまざまな人々が力を合わせれば、社会を変えることができる。現在の日本よりもはるかに不幸な環境に置かれながら、自ら社会をつくる努力をし成功した「救世主の町」を訪れるたびに私は、人間の力を感じる。



著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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