home>活憲とヒューマンライツ(人権)>解放を求めて

活憲とヒューマンライツ(人権)

バックナンバー

解放を求めて

「あけぼの」2010年10月号より) 伊藤千尋


毎年この時期になると思い出すのが、軍事独裁政権下だった南米チリで起きた市民の抵抗運動だ。

チリでは1973年に軍部がクーデターを起こして実権を握った。それは9月11日のことで、チリでは「9・11」と言えばこの日のことを言う。クーデターをお膳立てし、資金援助をしたのは米国政府の諜報機関CIAだった。だから2001年に米国でテロが起きてアメリカ人が被害者を強調したとき、チリの人々は「1973年のテロを起こしたのは、お前たちアメリカ政府だ」と叫んだのだ。

クーデターの直後、軍は反対派の市民を逮捕し、首都の国立競技場に集めて虐殺した。殺された中には名高い歌手ビクトル・ハラもいた。このとき100万人と言われる人々が海外に亡命を強いられた。

それから11年たった1984年、私は朝日新聞の中南米特派員として赴任した。この年の9月4日、反軍政国民抗議デーが行われたので、チリに取材に行った。

反政府集会は正午から首都中心部のアルマス広場で行われると言う。私は広場に30分前に着いた。ところが、ベンチにおじいさんが座って新聞を読み、おばあさんが鳩に豆をやり、隣のベンチではカップルがいちゃいちゃしているだけだ。聞いた情報が間違っていたのかと思った。しかし、広場に面した大聖堂の鐘が正午を告げたとき、おじいさんが立ち上がって「民主主義万歳」と叫んだ。おばあさんはハンドバッグから豆でなく紙吹雪を取り出し「軍政よ去れ」と言いながら天高くまいた、カップルも立ち上がって「軍政打倒」と叫ぶ。ほかにもあちこちから声が上がった。あっという間に300人の集会になった。あらかじめ集まると事前に逮捕されるので、みんな通行人を装っていたのだ。

突然、上空に軍のヘリコプターが現れた。大聖堂の両側から警察の放水車が出てきて、冷たい水を浴びせた。最初の放水を浴びたのは私だ。身体に強烈なショックを受けて石畳に転がった。報道陣をなぎ倒したあと、水は集会参加者に向けられた。水の中には催涙ガスが含まれていた。当時、世界で最も危険が催涙ガスと言われたのが軍事独裁の韓国とチリだった。これを吸い込むと女性は子どもが産めなくなると言われた。広場の四隅から警察軍の部隊20人ずつがカービン銃を水平に掲げながら広場に突進した。

さすがに外国人記者の前で銃を撃つわけにはいかないと判断したのだろう。警棒で参加者の頭をめった打ちした。あたりは血だらけである。警官は倒れた人の髪をつかんで車に乗せ連行した。

それを目の当たりにしながら思った。あのおじいさんもおばあさんも若者も、こうなるのを覚悟で今日、ここに来ていた。なんと強靱な意志なのか。

      ☆    ★    ☆    ★    ☆

国民の抗議はさまざまな形で展開した。その先頭に立っていたのがカトリックの聖職者たちだった。アルマス広場の大聖堂の隣に「連帯」を名乗る若手聖職者の組織の本部があった。そこでは毎月、軍事政権がいかにひどいことをしているか、国民はいかに抵抗しているかを「連帯」という機関紙に印刷して配布した。

圧巻は1987年、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のチリ訪問だ。首都サンティアゴをパレードしたとき、150万人の市民が出迎えた。その頭上に降った紙吹雪を手に取るとビラだった。「教皇様、ようこそ。チリはパン、仕事、正義、自由を求めています」と書かれていた。見上げたビルの窓には、「教皇様、自由を求めて苦悩するチリを救い給え」と書いた紙を掲げた人がいた。

あのクーデター直後に、市民が虐殺された国立競技場で、若者による教皇歓迎集会が開かれた。芝生の中央に置かれた椅子に教皇が座る。その前に少年が歩み出て歓迎の辞を述べようとした。だが、彼はマイクの前に立ちつくしたまま顔を伏せたままだ。どうしたのか、と思っていると、やにわに顔を上げた彼は考叫んだ。

「教皇様、ようこそいらっしゃいました。ぼくはあなたへの歓迎の辞を述べることになっていて、それはこの胸のポケットに入っているが、これを読むことはできない。それは軍事政権が用意したもので、そこにはチリのウソが書かれている。これをそのまま述べることは、ウソを語ることだ。チリ国民を裏切ることだ。ぼくはあなたにウソは語れない。あなたにチリの真実を語りたい」。そのうえで、今のチリでいかに自由がないか、を彼はとうとうと語った。

教皇はその言葉にじっと耳を傾けた。そして立ち上がって言った。

「かつで哀しみと苦痛の場であったこの地で今、若者に繰り返し言おう。あなたがたの責任を果たしなさい。社会を変革し、より人道的なチリを建設しなさい。より正しき社会の建設の主役であれ。若者よ、立て」

教皇は両手を広げ、力を込めてそう語りかけた。教皇が若者たちに独裁政権を打倒せよ、とけしかけているようなものだ。

教皇はチリのあちこちのスラムを訪ね、やはり社会の変革を訴えた。そのさい、教皇は「正義の世界の建設のため連帯しよう。教会は行動を起こさなければならない。それが神の思し召しだ」と語った。演説の言葉には、あらかじめ記者団に配られた草稿になかった言葉がちりばめられていた。それは「社会正義」だ。社会は正義に満ちていなければならない、と強調したのだ。

その言葉を聞いた人々の中から大合唱が起きた。「アーメン、アーメン、アーアメン、アーメン、アーメン」。映画「野のユリ」で「エーメン」と歌われるあのメロディーに乗せて、私の目の前で若いシスターがギターを手に満面の笑みで、そう歌っていた。そのかたわらでは年配のシスターが涙で顔をくちゃくちゃにしながら歌っていた。苦しい時代の中で、その顔は人間の尊厳を全うして生きているという自信と誇りに満ちていた。



著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

▲ページのトップへ