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活憲とヒューマンライツ(人権)

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「自由」が壁を壊し、「人間の尊厳」が未来を築く

「あけぼの」2010年12月号より) 伊藤千尋


第2次大戦後に東西に分かれていたドイツが再統合して、この10月3日で20周年となった。

統合前の2つのドイツは、あまりにもかけ離れていた。資本主義と協賛主義でイデオロギーが異なり、豊かな西ドイツと貧しい東ドイツとの経済的な格差は、国内総生産(GDP)で3倍以上の差があった。統合してうまくやっていけるのかと疑問を持たれたが、この20年の歩みはスムーズだ。

冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊したのは、再統合に先立つ1年前の1989年11月9日だ。崩壊のきっかけとなったのは、当時の東ドイツの学術の都ライプチヒの「月曜デモ」だった。市内の聖ニコライ教会で毎週月曜の「平和の祈り」のあとに行われたデモ行進だ。

ミサが終わったあと、信者たちは黙って市内を歩いた。1982年に始まったときは数100人の小集団だったが、しだいに数が膨らみ、壁が崩壊する1か月前の1989年10月9日には7万人が参加した。その4日後は月曜でもないのに20万人がデモした。ライプチヒだけでなく東ドイツのあちこちの町でデモが起きた。

デモをした人々が求めたのは「自由」だ。たった一つの主義主張しかしてはいけないと強制されると、息が詰まる。人々は、政治的にも経済的にも自由に行動できる社会を求めた。デモの急速な広がりを見た東ドイル政府は、自分たちがもはや支持されていないことを悟ったのだ。

当時の東ドイツはソ連べったりのホーネッカー政権の下で、一党独裁体制を貫いていた。西ドイツと対峙した冷戦の最前線だけに、抑圧は厳しかった。1973年だったか、秋に東ベルリンを歩いたことがある。石造りの中心街は沈鬱な空気に包まれ、まさに空気まで凍り付くような気がした。チャーリー検問所を通って西ベルリンに入るとホッとしたことを覚えている。

ベルリンの壁が崩壊した直後にベルリンを訪れると、市民が自宅からハンマーを持ち出して壁を壊していた。壁は厚さ16センチもあった。破片を手に取ると、強固なコンクリートだ。ためしに私もハンマーをふるってみたが、なまはんかな力では壊れなかった。

西ベルリンの博物館には、冷戦時代に壁を超えようとした人々の試みが展示してあった。人間が中に入って荷物として通過しようとしたトランクがあった。わずかな息穴を開けてあるが、見るからに小さなトランクである。この中に長時間ひそむなど、想像するだけでも気が変になりそうだ。成功した人もあったが、失敗して射殺された人もいた。その数は約80人にのぼると言う。

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ベルリンの壁が崩壊した年のクリスマスに、東西ベルリンで壁の崩壊を祝う演奏会が開かれた。イブの24日をはさんで、23日には西ベルリンで西ベルリン・フィルが、25日には東ベルリンで東ベルリン・フィルが演奏した。曲はベートーベンの第九「歓喜の歌」だ。

指揮したのはいずれもバーンスタインである。彼は歌詞の「フロイデ(歓び)」を「フライハイト(自由)」に変えて歌うよう、合唱団に指示した。そのリハーサルの最中にルーマニアで革命が起きたというニュースが入り、バーンスタインは指揮台で飛び上がって喜んだという。

その2つの合唱に合唱団として参加し、正面の中央で歌ったのは日本人だった。当時、声楽の勉強でドイツに留学し、ミュンヘン放送合唱団員だった頃安利秀さんである。帰国後に徳島県の鳴門教育大学の声楽教授となった頃安さんは「自由が来たまさにそのとき、『第九』の意味をかみしめて歌った」と、当時を思い起こして私に話した。

再統合後はしばらく経済が弱体化し、不況の中でヒトラーの再来のようなネオナチの動きが活発化した。かつてのナチがユダヤ人を排斥したように、移民労働者を排斥する偏狭な民族主義が盛んになった。

だが、それを鎮めたのは国家の権力ではない。市民の力だった。ネオナチが1000人の集会をすれば、その向こうで市民1万人が移民を守る集会を開いた。国家権力の力で市民を押さえつけようというのではなく、市民の意志でナチの再来を防ごうとしたのだ。

ナチスの時代にも、ヒトラーに逆らって民主主義を求めた市民運動があった。「白バラ」を名付けられたミュンヘンの学生主体のグループはその一つだ。メンバーの中で唯一女性だったゾフィー・ショルを描いたのが映画「白バラの祈り」だ。

この映画を制作したローテムント監督が来日したさいに話を聞いた。彼は「今や、戦争で起こってしまったことに対する罪を問う時代ではありません。そこから学ぶべき責任を問う時代です」と言う。

今の私たちに、戦争を起こした責任はない。だが、なぜ当時の人々が「ヒトラー万歳」と叫んでしまったのかを解明しなければ、また同じことが起きる。そう考えて、この映画を作ったのだと言う。過去から学ぶ姿勢がここにある。

ドイツの現行憲法は、基本法という名だ。その第1条は、「人間の尊厳」を高らかにうたう。「人間の尊厳は不可侵である、これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である」というのがその文句だ。続けて「侵すことも譲ることもできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める」と、国境を越えて人権を普遍化した。

戦後ドイツは、終戦の日を日本のような「終戦記念日」というあいまいな言葉ではなく、「民主主義の日」と名付けた。この日をもって民主主義の国を築くのだという意志を込めたのだ。こうした姿勢があるからこそ、かつての敵から受け入れられる今日のドイツがある。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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