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9条の島を「殺人鬼の島」にするな

「あけぼの」2011年2月号より) 伊藤千尋


軍隊の廃止を定めた憲法9条の記念碑が、沖縄だけで6か所もあるという。このうち読谷村の碑については以前、伝えた。他の5つのうち、石垣島など島にある2つを除いた3つの碑を訪ねようと今回、那覇空港に降り立った。冬とはいえ夏のような日差しで、暑いほどだった。

那覇中心部の与儀公園には、ガジュマルの木に覆われて守られるように、四角くて黒い立派な石碑が立っていた。「恒久平和」の題字に続いて「日本国民は正義と秩序を……」の9条の全文が刻んである。

台座の右には那覇市長の名で、建立の経緯が記してあった。太平洋戦争の終結から40年たった昭和60年に、「恒久平和主義が名実共に定着し、2度と戦争の惨禍が起こることのようないよう祈念し『平和都市なは』建設のシンボルとして」、 この碑を作ったという。

那覇から東へ、海に面した西原町に向かった。その町役場の入り口の左側に、記念碑が立っていた。三角形に近い形の黒い石に「祖国復帰30周年平和憲法記念碑」の表題で9条の全文が彫ってある。日付は2002年10月で、町長の名義だ。1972年に沖縄が日本に返還されたのを機に建てられた。

西原町は昭和60年に非核反戦平和都市を宣言した。そのときの文には「西原町民は、40年前のあのいまわしい戦争を忘れはしない。わたしたちは、世界唯一の核被爆国民として、また、悲惨な地上戦を体験した唯一の沖縄県民として、全て の戦争を否定し、人類の生存を脅かす核の絶滅を世界の全核保有国に強く求めるものである」とある。

那覇市と西原町の間にある南風原町を訪れると、森の中にキノコのような変わった形の高さ2メートルの記念碑があった。憲法9条が彫られた黒い石の上に、横に長い茶色の石が帽子のように置かれて、「憲法9条の碑」と横書きで書いてある。

後ろに回ると、黒い石には中国語、ハングル、英語の3つの言語で9条が書いてあった。訳は東京大学消費生活組合平和プロジェクトだ。その下に建立の趣旨が彫ってある。「日本国憲法第9条は人類の進むべき道しるべ」と書き出し、「沖縄戦で住民の約43%が犠牲となり、戦争の語り部・陸軍病院壕跡が存するここ黄金森に平和を願う町名の名において」、この碑と「鎮魂と平和之鐘」を建てたという・建てたのは「憲法9条を世界に広め平和を守る南風原町民の会」だ。

碑のわきに、平和の鐘が立っている。垂直に立つ左右5本ずつのパイプが高さ3メートルほどの上で組み合わさり、つまり5本の指を合掌するような形となって、そこから鐘が下がる。ひもを引くと、澄んだ音色が森に響いた。

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碑の趣旨に書かれた「陸軍病院壕跡」は、この碑のすぐそばにある。沖縄戦のさい、日本陸軍はこの町に病院を建てたが、空襲で病院が破壊されると岩山をトンネル状にくりぬき、その中に二段ベッドを並べて病院とした。

この壕跡が整備されて一般に公開されたのは、ほんの3年前だ。終戦から60年以上もたって、ようやく中が見られるようになった。現場には町民のボランティアが数人いて、中を案内してくれる。私は女性の大城さんの案内で中に入った。

高さ、横幅ともに1.8メートルの壕が、長さ70メートルにわたって続く。中は真っ暗で、懐中電灯を手に歩いた。天井を見上げると、砂岩をツルハシで削った跡がそのまま残る。壕の入り口の壁や天井は真っ黒だ。「これは米軍の火炎放射器の跡です」と大城さんはいう。生々しい戦争の痕跡が今、そのまま眼前にある。

戦時中、この壕の中を照らすのは数本のロウソクだけだった。その乏しい明かりの中で手足を切り取る手術をしたのだ。麻酔薬もなく、衛生兵は手術の間、傷つき苦しむ兵士を押さえつけるしかなったという。

この南風原町の陸軍病院の看護要員として女学生が動員されたのが、名高い「ひめゆり部隊」である。つまり、この町は「ひめゆり部隊」の発祥の地なのだ。生き残りの女学生の証言では、戦争末期、この壕を撤収するさい、彼女らは4人1組で担架に傷ついた兵士を乗せ、2時間かけて運んでいったという。

もはや生きる見込みのない兵士に対しては、枕元にピンポン玉ほどの小さな握り飯とわずかな水を置いて置き去りにするしかなかった。彼らは戦死する前に餓死しただろうという。壕によっては、傷病兵にミルクだと称して青酸カリを飲ませたところもあった。なめると苦かったため吐き出して逃げた、たった一人の生き残りの兵士の証言だ。

憲法9条の碑と鐘のそばに、「鎮魂の碑」と書かれた石碑が建つ。2009年に建てられたばかりのものだ。そこには「両の足失なひし兵 病院を探して泥道這ひより来たる」と歌が彫られている。この沖縄陸軍病院の軍医だった長田紀春氏が詠んだものだ。碑は、当時の病院職員と患者の生存者と遺族が建てた。

私が入る直前に20人ほどの若者が壕を見学した。自衛隊の隊員たちだという。どんな気持ちで見たのだろうか。以前、訪日した元イラク兵もここに来たという。案内してくれた大城さんが悔しそうな表情で語った。「そのイラク兵がいうんです。イラクで沖縄は『殺人鬼を製造する島』と思われている、と」

イラク戦争でイラクに行き、イラクの人々を殺した米兵の多くが「自分は沖縄の基地から来た」と話したという。だからイラクでは、沖縄は殺人鬼を作る島だと信じられているのだ。平和を宣言する沖縄が、基地があるばかりに殺人の島と思われている。

こんな不条理なことはない。一刻も早く基地をなくさなければ、と大城さんは訴える。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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