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北アフリカの騒乱の背景に 米国の新自由主義があった

「あけぼの」2011年5月号より) 伊藤千尋


北アフリカの騒乱が、国境を越えて広がっている。長く続いた独裁政権に対する市民の反乱というが、それだけでは納得できない。

なぜ人々は、何十年も我慢してきたのか?

なぜ人々は、この時期に蜂起したのか?

その答えを探ってみよう。

騒乱の最初はチュニジアだった。この国に私が最初に行ったのは、今から20年前の1991年だ。今回の「ジャスミン革命」で倒されたベンアリ政権が成立して4年後である。

ベンアリの前はブルギバ政権だった。第2次大戦後にフランスからの独立を勝ち取った立役者の彼は、大統領に就任して社会主義的な政策を進めた。しかし、経済で行き詰まってしまった。食糧危機が起きて食べられなくなった人々がゼネストを起こした。それを見たベンアリが無血クーデターを起こしたのだ。

政権を握ったベンアリが最初にしたのが、市場経済を導入して民営化省をつくることだった。国有財産が民間に売られた。10年間で処分された国営企業は208に上る。その7、8割は欧州系の企業が買った。残りはベンアリの一族と、この国の経済団体の有力者が買った。いずれも二束三文の値段での払い下げだった。

国有財産を売り払うようにと指導したのが、国際通貨基金(IMF)である。米国が主導する国際金融機関だ。当時、チュニジアは開発を進めようとして欧米っからカネを借りまくり、負債が膨らんで返せなくなった。借金を返済するため、国有財産を次々に売りと飛ばしたのだ。ベンアリはIMFの指導にそのまま従った。このため「IMFの優等生」と呼ばれた。

その割をくったのが国民である。民営化で公務員が大量に首を切られた。物価が跳ね上がった。農業は切り捨てられ、食糧を自給できなくなった。当然、不満が溜まる。

それに対してベンアリは、反対派の市民1万人を拘束した。街に警官を大量に配管し、国民の政府への反発を力で抑えようとした。当時、この国は旧宗主国フランスの6分の1の人口だったが、警官の数はフランスの6倍だった。絵に描いたような警察国家になったのだ。

社会は次第にいびつになった。最近では18歳から35歳の働き盛りの男性の40%が失業状態という異常な国になった。食べられなくなって物乞いをすれば警官に逮捕された。欧米の観光客のためにリゾートを開発したが、そこにチュニジア人は入れなかった。

こうした圧政への国民の不満が、爆発したのだ。ベンアリ政権への反発であると同時に、IMFへの反発である。

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と聞けば、似たようなケースをすぐに思い出す。中南米がまったく同じだった。

米国や日本から借金したカネを返せなくなってブラジルやアルゼンチン、メキシコなどが軒並み債務危機に陥った。そこでしゃしゃり出たのがIMFだ。悪名高い構造調整政策を進め、国営企業を次々に民営化し、物価をつりあげて国民の懐からカネを搾り取り、借金の返済に充てさせた。とくにアルゼンチンは「IMFの優等生」と呼ばれた。

これに対して中南米の人々は怒った。アルゼンチンでは10年前の2001年に暴動が起き、わずか2週間の間に大統領が5人も交代した。その後の選挙で国民から支持を集めたのは、米国からの自立を主張する政党である。IMFへの不満がそのまま米国流の新自由主義の経済への反発となり、さらには反米政権の誕生へとつながったのだ。

北アフリカの今回の騒乱で見落とされているのが、経済だ。人々は単に独裁反対の気持ちだけでいっせいに蜂起するものではない。民主主義を大切だとは考えていても、国民の大多数が直ちに命をかけた闘いに突入するわけではない。多くの人々は食べられるうちは我慢する。我慢できなくなるのは食べられなくなったとき、命と生活の危機が迫ったときである。政治状況を動かすもとには理念があるが、状況を実際に変える力となるのは経済である。

続いて政権が倒れたエジプトでも、チュニジアと同じような状況だった。英国からの独立を達成したナセル大統領は社会主義的な政策を進め、地主の土地を没収して貧しい農民に配った。次のサダト政権は逆に米国流の市場経済を取り入れ、土地を貧民から取り上げて地主に返した。そのあとのムバラク政権も地主の権限を強化した。農民は農地を捨てて湾岸諸国への季節労働に出た。

ムバラク米国べったりとなり、IMFの言うとおりにして欧米への借金を返そうとした。このために国民の反発を招いた。それを抑えるために1981年から非常事態宣言を出しっぱなしにし、軍が街に出て治安維持に当たった。溜まっていた国民の不満がチュニジアの暴動をきっかけに爆発し、政権引き倒しに至ったのだ。軍も、ムバラクのままでは国が持たないと判断した。

では、北アフリカでもおなじように反米政権が誕生するのだろうか?

そう直ちに言えるわけではない。アフリカは経済的には米国よりも欧州の圏内にある。欧州企業への反発が米国企業への接近となって現れることだってありうる。

とはいえ、親米政権が行ってきた政策は大きく変わらざるを得ないだろう。少なくとも経済の新自由主義は影をひそめることになる。そうしなければ国民が許さないだろう。

問題は、国民の不満の理由を新たな政策にきちんと活かせる政権ができるかどうかだ。弾圧の時代が長かったために、これまでの政権に替わってすぐに政治のかじ取りをできる政治勢力がいるわけではない。

なにせ、弾圧がなくても一党支配が長く続いた日本でさえ、新政権はこのていたらくなのだから……。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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