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活憲とヒューマンライツ(人権)

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太陽の汗、月の涙

「あけぼの」2011年8月号より) 伊藤千尋


福島第一原発の事故を受けて、現場からはるか離れた欧州のドイツでは、政府が脱原発の方針を決めた。国内に17ある原発のうち古い8基を直ちに、残りも今後11年以内に閉鎖する。一方で日本の政府は、地震帯の上に建つ浜岡原発の一時停止を企業側に要請しただけだ。しかも、政治家どもは被災者を放ったままで権力争いにうつつを抜かす。本来なら原発の是非が問われるはずなのに、そっちのけだ。

そうなる背景には、「とはいえ、発展のために原発は必要だ」という根強い「迷信」がある。原発は安全だという安全神話は崩壊したが、原発なくして発展はないという迷信はなお日本に根強い。今後の経済発展のために電力が無限大に必要になるという発想に立てば、原発は必要だと思うだろう。

でも、考えてみよう。何のためにわたしたちは発展したいのか、を。

「サザエさん」の漫画に、セントラルヒーティングで完全に電化した家が登場したのは1968年だ、その家の主婦は大いばりだが、カーテンの陰では一人寂しく食事するおばあさんが「昔のほうがずっとあったかだった」とこぼす。このおばあさんにとって、電化に象徴される発展とは、家庭が崩壊し老人が家庭から見放されることだった。暖房によって室内の温度は温かくなったが、人間の心は冷えた。

経済の発展、あるいは家庭の電化は、そもそも人間を幸福にするために考えられたのではないか。それが逆に人を不幸にするのだったら、いったい何のための発展だろうか。

今から40年近く前、私は東欧で当時「ジプシー」と呼ばれたロマ民族の幌馬車を追ったことがある。一生を旅で暮らす彼らを文化人類学的に調査し、「人はなぜ旅をするのか」の答えを得ようとしたのだ。

ルーマニアの草原で12台の幌馬車を連ねたロマの集団を見つけた。彼らの中に入って夜、焚き火を囲んでいっしょにシチューを食べた。そのとき、ロマの少年が草原の真ん中で叫んだのは、「空を見ろ、あの一番輝いているのがぼくの星だ」という言葉だ。ロマの言い伝えで、世界の人の数だけ空に星があり、だれもが自分の星を持っているという。

それから20年後、私が朝日新聞の川崎支局長をしていたとき、川崎公害事件の判決があった。高度成長の時代に京浜コンビナートの工場の煙やトラックの排気ガスで喘息患者が増え、亡くなる人も出た。住民の訴えで裁判になり、判決の時期を迎えたのだ。深夜の仕事を終えて空を見上げると、晴れているのに星はほとんど見えなかった。そのとき、ロマの少年の言葉が頭をよぎった。

日本の空には星が見えない。ロマの言い伝えからすれば、それは人間が見えないということだ。戦後日本の発展は、煤煙で空を汚し人間の心も汚し命よりもカネを大事にした。

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公害に侵され人間の命を犠牲にしても求め続ける経済発展って、いったい何だろう。そんなもの、何の意味があるのか。

『豆豆腐の季節』で、貧しい生活の中から人間のほとばしる感情を描いた作家の故松下竜一氏は、一方で環境活動家でもあった。彼が中心となって展開した豊前火力環境権訴訟は、日本に「環境権」という考え方を確立させる大きな力となった。住民が潮干狩りをして自然と親しむ海辺が埋め立てられ、発電所が建てられた。発展を理由に国土を破壊することに対して「そんな発展なら、いらない」と素朴に声を上げたのだ。

その彼が唱えたのが「暗闇の思想」だった。夜は暗いのが当たり前だ。わざわざ環境を破壊して大量に発電して深夜まで明るくする必要が、どこにあるのか。暗闇だからこそ人は眠れるし、ものを考えることもできる。深夜まで煌々(こうこう)と電気をつけて労働者に徹夜作業を強いる会社、24時間テレビを放映してポルノや暴力映画を流すのが望むべき社会なのか、と疑問を投げかけた。

同じことを私も感じた。それは南米のペルーで「太陽の汗、月の涙」という言葉を耳にしたときだ。

それは古代インカ帝国の時代の言葉だ。「太陽の汗」は金を、「月の涙」は銀を表す。

お日様が暑さのあまり流した汗が地上に落ちて固まったのが金になり、お月様が寂しくて流した涙が地上で銀になったという、言い伝えだ。メルヘンチックと言えばそれまでだが、それを聞いたときに、私は思った。

金銀は豊かさの象徴だ。太陽が出る昼間は汗を流して働き、月が出る夜は物思いにふけって涙を流す、そうして得られたものこそ、本来の豊かさと言えるのではないか。このような生き方こそ、人間の生きるべき姿ではないか。この言葉は金と銀にたとえて、人間の生き方を暗示した言葉ではないのか、と。

今の社会は汗を流す労働をバカにし、クーラーの下でネクタイをして為替の上下や株の売買に血眼になる行為に高い給料が払われる。どんな手段で得たかは問わず、カネをたくさん持っている人ほど偉いのだとされる。カネですべてが計られる世の中、他人を蹴落としてカネを得ることも当然とされる社会って、どう見てもおかしいと思う。

原発事故を機に私たちが考えるべきことは、エネルギー問題にとどまらない。人間の生き方が問われているのではないか。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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