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町が消えた大地震の被災地から

「あけぼの」2011年9月号より) 伊藤千尋


風景を目の前にして息をのみ、言葉が出てこない。37年にわたって記者をし、世界68か国を回って戦場はもちろん、死者2万人を出したメキシコの地震など災害の現場も多く見た。だが、言葉が出てこないのは初めての体験だった。言葉の代わりに出たのは、涙だった。

東日本大震災で大津波に襲われた岩手県陸前高田市。町が破滅したと言われたが、これは壊滅ではない。消滅だった。

この光景は以前、どこかで見たことがある。そうだ。広島の平和祈念資料館で見た、被爆直後の広島市街の光景に似ている。

海に面して見渡す限り、だだっ広い空間が広がる。そこにポツンポツンとコンクリートの3、4階建ての建物が散らばる。ほかに目立つのは瓦礫(がれき)の山だけだ。3階建てのビルよりも高く積もったのは……何百台あるだろうか、つぶれた自動車の残骸だった。紙で作った自動車を手で握りつぶしたように、くしゃくしゃになったまま山積みとなっている。

あとは平地が広がるばかり。住宅が建っていた場所は、土台がかすかにわかるだけ。そのあとは水をはった田んぼのように海水が溜まっている。地震による地盤沈下で、津波がもたらした海水が引かないのだ。ここら海岸の一帯は、1m以上も地盤が下がったと言う。

残った建物は中学校、病院、ホテルだった。海に近い3階建ての中学校は、3階部分も窓ガラスが割れている。子どもたちは、どうなったのだろうか。ここにいれば生きていられるわけがない。病院は震災直後に報道された高田病院だ。あの屋上で人々は助けを待っていたのだ。

地元の人は言う。「何もなくなった。海岸もなくなった」。海岸の松林が一掃されていた。護岸のコンクリートもさらわれていた。どこまでが海で、どこからが岸なのか、判然としない。

陸前高田市には、隣の宮城県気仙沼市から車で入った。その気仙沼も惨状だった。

JR気仙沼駅に降り立ち、駅前の商店街を見たときは普通に見えた。高台にあるからだ。港に下るにつれて目を見張った。店も住家も建物は軒並み、1階部分がない。港に下ると見渡す限り瓦礫の山だ。

直径10m以上もある石油タンクが横倒しになっている。港口からここまで何百メートルもの距離を流れ着いたのだと言う。その石油に火がついて、町を燃やした。地震の日の夜の町を大火が襲う模様がテレビで放映されたが、それをもたらしたのがこのタンクだ。あたりには焼けこげた自動車や船が並ぶ。

港から1km以上離れた奥深く、何百トンもある大きな漁船が3隻、折り重なっている。あちこち、打ち上げられた漁船が姿をさらす。港につながれた船は完全に焼け焦げていた。湾に石油が広がり文字通り火の海になったさい、この船は渦巻く火の中を漂流し、黒いシルエットを見せたのだと言う。

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そう説明したのは、被災地を案内してくれた掛園勝二郎記者だ。朝日新聞の記者の中でも最年長の66歳で、7月の誕生日で退職する予定だった。記者生活の最後にとんでもない災害にめぐり合わせた。

彼は、あの地震を現地から最初にルポした記者でもある。携帯電話で被害の生々しい様子を伝えたあと、翌日まで行方不明になっていた。連絡を取ろうにもとれなかったのだ。周囲が海となった海辺の建物の中で孤立したからである。

彼は、私が駆け出しの長崎支局時代に世話になった先輩記者だ。今回、30年ぶりに会った。お見舞いかたがた現場を訪れることにしたのだ。彼はJRの駅で迎えてくれた。その車は、地震以来の潮とヘドロをかぶったままで、すさまじい。

地震のとき、掛園記者は港のすぐ近くにいた。4月の統一地方選に関する記者会見に臨んでいたのだ。大揺れでとっさに思い出したのは「津波は10分でやってくる、車で避難するのは危ない」という地震学者の言葉だ。高台は遠い。港に面した魚市場の3階駐車場に登った。30分後、その2階部分まで津波は襲った。「津波は海が壁のように来ると言うが、そうじゃない。海がどんどん膨らんできた」と言う。

魚市場の周囲があたり一面、海になった。目の前で2階建ての家が波に乗って道路を遡(さかのぼ)っていく。タンクから火が上がり、漂流物が次々に燃え、湾の中央では流された船が炎の中でくるくる回る。信じられない風景が目の前で起きた。

掛園記者が「どうしても見に行きたいものがある」と言う。行った先は港の突端だ。ウミネコが何百羽も群れて巣をつくっていた。数日前に行ったときは卵がいくつかあったと言う。だが、今はヒナがかえっていた。それもあちこちに。頭上を親が飛び、ヒナを守ろうとする。

被災したのは人間だけではない。沖合の島に巣を持っていた鳥もまた住み処を失ったのだ。それでも、被災にめげず新たに生きようとする。人間もめげてる場合じゃない、と言われているような気がした。

翌日、陸前高田市長の話を聞いた。被災地を訪れた国会議員の中には、「30分だけ見て、Vサインをして記念写真を撮った馬鹿者もいた」と言う。被災地で頑張りくさって即刻辞任した大臣もいる。

今の日本で一番の被害は、政治の貧困かしれない。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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