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脱原発をきっかけに市民の時代へ

「あけぼの」2011年10月号より) 伊藤千尋


日本では政府が原子力発電ばかりに目を向けてきたため、欧米に比べて自然エネルギーの開発が遅れた。しかし、地方に目を向けると、独自に自然エネルギーを取り入れている自治体や市民団体が、実はあちこちにある。

四国の山奥にある高知県梼原(ゆすはら)町では風力、太陽光、水力、地熱、バイオによる発電を自前で開発した。今や自然エネルギーの模範のような町となっている。それが実現したのはここ10年あまりの短期間で、前町長の中越武義さんが就任してからだ。

最初から環境問題を意識していたわけではない。きっかけは赤字対策だった。バブル時代に建てられたリゾート施設の光熱費をどこからひねり出そうかと考えた。ふと気づくと、施設がある場所の地名が「風早」だ。もしかして風力発電ができるのではないかと思いついた。

しかし、調べてみると風早の風は早くなかった。ここであきらめずに、町内でほかに風が早い場所はないかと探した。すると四国山脈の尾根では全国でもトップクラスであるほど風が強いことがわかった。そこで本格的に風力発電に乗り出したのだ。

町の税収は年に3億円だが、2億円以上をかけてデンマーク製の風車2基を購入した。四国電力と交渉して余った電力を高額で売ることにした。数年すると年に4千万円が売電収入として入ってきた。それを環境基金として蓄え、これをもとに町内の環境プロジェクトを進めたのだ。

太陽光発電を広めるために、町役場や公民館、学校などの町の施設にはすべて、屋根に太陽光パネルを張り巡らした。町民が自宅にパネルを取り付けるときにはキロワット当たり20万円を補助した。

町の面積の大半が森だ。間伐など森を手入れすれば補助金を出した。このため荒れていた森が保全された。さたに間伐された木材をバイオエネルギーとする工場を建てた。間伐を進めたために雇用も増えた。この町は「最後の清流」と呼ばれる四万十川の源流域に当たる。その森を歩く森林セラピーを始めると、東京から良質の観光客がやってきた。

水力発電にも取り組んだ。大がかりなダムを建設したわけではない。高さ6mほどの落差を利用して電気をつくるのだ。これを小水力発電という。そこで生まれた電気で町内の学校と街灯で使う電力をまかなった。地熱を利用して温水プールをつくった。

こうしたことを、中越さんが町長になってのわずかな3期12年のうちにすべて実現した。それも町長が独断で決めてやったのではない。何をやるにも町民の合意を出発点とした。

そもそも風車を建てるときには住民投票をした。住民の環境意識を育てるため、ドイツやスイスに町の調査団を派遣したが、どこの町でもあるような議員の視察旅行をしたのではない。

町民から公募して、10代の若者から70代の年配者まで15人の視察団を派遣した。欧州の先進地を見た町民は自分たちの町を変えて行く意志に燃えた。町内各地で報告会を開き、梼原町をどんな町にしていくのかを町民自身が論議した。

このように民主主義の土台の上で、町の環境開発に取り組んだのだ。一人の発案が町を動かし、環境のモデルとなれることを実証した。環境での取り組みが出発点となり、町の行政のすべてで町民自らが自治を行う姿勢に変わった。

次には、予防医療の仕組みを整えた。自分の健康は自分で守ることを掲げ、検診による早期発見と早期治療を進めている。輪番で毎年、20戸に一人の割合で健康・福祉の世話係を決め、係になった人には年に8日間、一日8時間の勉強をしてもらう。勤めを持つ人には町から企業に声をかけ、有給休暇の扱いで参加してもらった。その結果、病人が減り、町の医療費も減った。

国や政府が何もしてくれないと愚痴を言う自治体は多いが、こうして自治体自身が自分の力で変わることができるのだ。

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一人の女性の発案から今、全国のすべての都道府県で「菜の花プロジェクト」が進んでいる。休耕田に菜の花を植えてナタネ油を採り、石油に変わる燃料にしようというのだ。

滋賀県で琵琶湖の水をきれいにする運動に取り組む環境生協の中心にいた藤井絢子(あやこ)さんは、ドイツを訪れたさいにナタネ油を燃料にベンツが走っていることを知った。これを日本に取り入れたのだ。

それまで天ぷらの油の廃食油を燃料にするなど試行錯誤をしてきたが、菜の花なら見ても食べてもいいし、おまけに燃料にもできる。滋賀県と掛け合って、公用車をナタネ油で走らせた。これを見た人が全国各地で同じことを始めた。それがネットワーク化し、2001年から毎年、「全国菜の花サミット」を開いている。スローガンは「菜の花が、地域と地球を救う」

市民全体といえば行政と距離をおいたり反発したりすることが多いが、藤井さんは行政に積極的に飛び込んだ。いくらいいことを言っても実現できなければダメだからだ。

そのためには市民自身が自ら実行する意志と専門家並みの知識を持たなければ成らない。これまでは行政が市民を管理してきたが、これからは市民が行政を動かす時代だ。

日本にもようやく市民社会が生まれつつある。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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