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活憲とヒューマンライツ(人権)

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怒りから行動へ変化する世界

「あけぼの」2012年1月号より)  伊藤千尋


今、世界を巻き込む大きな市民運動のうねりが起きている。1960年代の末にベトナム反戦や大学の自治、公害反対を叫んだ若者たちの行動の再来のようにも見える。

当時と違うのは、今がグローバリズムの時代で一国の動きが容易に世界に広がることであり、それに必要なインターネットという自前のメディアを市民が手にしていることだ。今の動きは当時のように社会を揺さぶり、歴史を動かすことになるかもしれない。

きっかけは9月の末ニューヨークだ。学費を払えなくなった学生や家賃を払えず家を追い出された人々が寝袋を持って集まり、銀行や証券会社が集まるマンハッタンの金融街の公園を占拠した。掲げたスローガンが「ウォール街を占拠せよ」だ。

最初は少人数の行動で目立たなかったし、マスコミも無視した。しかし、若者たちが広場から街頭にデモ行進したさい、警官が女子学生に催眠スプレーをかけた映像がインターネットのユーチューブに流れた。それを見た人々が警察の過剰な取り締まりに怒ったことから、若者の運動へのと共感と当局への反発が市民に広がった。

10月には市内のブルックリン橋を1,500人がデモし、うち半数近くが逮捕された。これが大々的に報道されたことから運動に火がついた。同じように失業した若者が全米各地の大都市で広場を占拠してデモを繰り広げた。

参加した人々が共通して掲げたのは「金持ちは1%、我々は99%」「富める者に税金を、貧しい者に食べ物を」というスローガンだ。富の分配が不平等である現状、つまり社会格差の是正を求めたのだ。

米国では1%の金持ちがいる一方で99%は貧乏人だというほど貧富の格差が激しい。長引く不況で失業率は9%で高止まりしている。大学を出た若者でも職がない。危機に陥った大銀行は税金で救済されるのに、税金を払う貧しい人々は見捨てられる。「アメリカン・ドリーム」を経済の仕組みが奪ってしまったことに対する怒りが爆発したのだ。

ウォール街での実力行使は自然発生的に起きたのではない。呼びかけた人がいた。米国人ではなく、カナダの雑誌「アドバスターズ」の創設者カレ・ラースン氏だ。

彼の主張が国境を越えて米国の若者を揺さぶったのは、インターネットという道具のせいだ。ツイッターという「つぶやき」程度の断片的な声ではあるが、それだけに送信しやすい機能によって、瞬く間に多数の支持を得た。当のラースン氏も予想しない大規模な広がりに発展した。

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運動は米国だけでなく、10月15日には世界一斉行動が提唱され、日本を含む82か国・地域の951か所で抗議行動が展開した。一人の声が世界的な運動が発展したのだ。

占拠という激しい実力行使をその前に実践したのは欧州だった。就職できないことに怒ったスペインの若い失業者たちは5月から、首都マドリードの広場を占拠してきた。経済政策に行き詰まったギリシャでは労組のストが続いていた。その波が米大陸に広がった。

ツイッターといえば中東の独裁を倒した「アラブの春」を思い出す。不満を抱えながらもバラバラだった民衆を組織できたのは、インターネットの力だった。

世界一斉行動が実現したのもインターネットのおかげである。米国はもちろん、同じように緊縮財政下にあり若者の失業が著しいイタリアでは、ローマの行動に約10万人もの人々が参加した。

アジアにも波及した。東京では日比谷公園や六本木の公園を数百人がデモした。格差是正だけでなく「原発反対」のプラカードも目立った。韓国のソウルでは中心部の広場を、台湾では台北のランドマークタワーをいずれも数百人が取り囲んだ。

そこに参加した若者の多くが、これまでデモをしたこともない人たちである。これまでの労組などが主催するデモとは違って、参加した人々は自分の自発的な意志で集まってきた。それぞれが自分の主張をプラカードに書いて掲げた。格差是正という大きな目標はあるが、具体的な要求はまちまちだ。それでも一体となった抗議行動として現れた。

リーダーがいないことも特徴だ。ウォール街で占拠した公園では互いに見ず知らずだった若者たちが、そのつど「総会」を開き、どう行動するかについて話し合い方針を決めている。日本の集会も様々な団体がインターネットで参加を呼びかけた。

こうしたかつてない動きに対して米国の世論は、最初は冷ややかだった。しかし、間もなく大手の労働組合が支持し、新聞やテレビなどマスコミも好意的な取り上げ方をするように変わった。若者たちの動きの背景には多くの国民の不満があり、けっして若者たちだけの「跳ね上がり」ではないと感じたからだ。

この動きから、来年に行われる米大統領選で民主、共和両党ではない第3の候補者を国民が出そうという動きも生まれている。弱肉強食の新自由主義を生み出した米国が自らの矛盾から脱皮しようとしているのだ。

日本ではともすれば愚痴を言うだけで、市民の自発的な動きが起きにくい。しかし、愚痴を言うだけで何が変わるのか。グチをジチ(自治)に変えるときだ。市民の動きが高まれば、今は冷ややかなマスコミも無視できなくなるだろう。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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