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原発の背景に不安症候群

「あけぼの」2012年7月号より) 伊藤千尋


同僚の女性記者が心配そうにつぶやいた。「原発が再稼働しなくて、この夏の電力は大丈夫なのかなあ」。経済部の出身だけに、電気がなくなると日本の企業活動が衰えてしまうと不安がるのだ。

自宅の電力なら、自分で節電すればいい。しかし、日本全国の経済を考えると雲をつかむような話だ。ともすれば、どれだけ電気があっても足りないのだから原発を早く再稼働させて電気をつくらなければならいという発想になる。思えばこうした不安こそ原発がはびこる元凶だったのではないか。

日本人は、世界の中でもとりわけこうした不安におびえる国民だ。不安症候群と言ってもいいかもしれない。電力だけではない。日本人の貯蓄志向、心配性の国民性は世界でも名高い。

お金は使わすに貯金しなければ老後に困ってしまうとか、いざというときのためにあらゆる保険に入っておくべきだとか、北朝鮮や中国から攻められるかもしれないから自衛隊を米軍並みに強化しなければならないとか……。

昔の中国ではこれを杞憂(きゆう)と呼んだ。杞の国の人が、天が落ちてくるのではないかと心配し夜も眠れなくなったという故事からだ。気がはやると、「かもしれない」が「そうなる可能性が高い」に変わり、さらに「そのために備えなくてはならない」となって、思考はひたすら開発や生産に向かう。

もちろん、こうした心配こそが発展の源であるとう考え方も成り立つ。アリとキリギリスの寓話のように、のんびりしていればいざというときに困るのも事実だ。しかし、日本人の心配性は度が過ぎているのではないか。そのために人間としての人生を犠牲にしているのではないか、と私には思える。

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かつて中南米に特派員として赴任していたとき、債務危機という経済問題が起きた。日本や米国がブラジルなどに膨大なカネを貸したが返ってこなくなったのだ。その取材で南米のアルゼンチンに行ったところ、衝撃を経験した。

国が破産するかもしれないというのに、政府の役人に取材すると、みんな他人事のような気分だ。街を歩いても、どこにも危機感はない。それどころか街のレストランは昼間から満員だった。

名高い牛肉を食べようと席に着くと、隣の席に運ばれてきたのは野球のグローブのような巨大なステーキだ。当時の日本では厚さ5mmくらいのステーキしか見たことがなかった。仰天して見つめていた私に、隣のおじさんが言った。

「昔は良かった。ステーキは皿からはみ出ていた。今はこんなに小さくなってしまった」

私はもっと驚いた。同時に思った。我々日本人はステーキなど食べずに懸命に働いている。こんな肉を食べられるのなら借金を肉で返せ、と。

その考えが誤っていると気付いたのは、3か月くらいしてからだ。

日本人は休みもせずにひたすら働く。するとカネが溜まる。安全性と利子を求めてカネを銀行に預ける。銀行はカネを増やそうと海外の国に貸す。そのカネが返ってこないのであわてる。

中南米側の論理は、こんな風だ。我々は何も借りたくて借りたのではない。日本から「借りてほしい」と言われたので借りてあげたのだ。我々だって返したいが、無いものはない。生活を切り詰めてまでカネを返そうという発想もない。だから返せない。

カネが返らないため、日本人はまたもせっせと働く。中南米の人は人生を謳歌する。

中南米に共通するのは、背伸びしないことだ。あるがままでいいじゃないか、という発想である。そんなふうだからいつまでも発展しないのだとなじる声がきこえそうだが、それはそれで一つの人生哲学だ。

彼らから日本人を見ると、せっかく経済大国になりながら、その成果をなぜ人生を楽しむことに使わないのか、と不思議に見える。

電力でも同じだ。どのくらい発展するかわからないから、とことん電力を開発しようという発想など、彼らは持たない。今ある電力に見合う生活をすればいいし、停電になるならそれはそれで構わないという発想だ。ブラジルに住んでいるとき、停電はしょっちゅうだった。だからといって政府が叱られるわけでもない。身の丈に合う生き方をすればいいと、人々はのんびり構えていた。

これに比べて日本も米国も、夜は不夜城と言えるほど電気が煌々(こうこう)とついている。私はロサンゼルスに住んでいたが、摩天楼の窓は深夜になっても輝いていた。日本はそれを輪をかけて、夜もあかあかとしている。夜のビルになぜ電気が必要なのか。夜になったら仕事をやめて休めばいいではないか。夜は暗いのが当たり前ではないか。夜まで仕事をしなければならないと考えるほうが異常ではないのか。

キューバについて東京で講演したさい、「キューバではエネルギー不足をどうやって克服していますか」という質問を受けた。はて、どうしていなのだろうと考え、当時のことを思い出して素直に答えた。

「自動車を自転車に変えましたが、とりあえずは無いものはしようがないと、あきらめました」

拍手が返ってきた。日本人も少しは変わってきたようだ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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