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活憲とヒューマンライツ(人権)

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無いものねだりでなく、あるもの探しを

「あけぼの」2012年10月号 ) 伊藤千尋


全国でもまれなほどの貧困のため、かつては「日本のチベット」と呼ばれた岩手県の山奥の集落をこの夏、訪ねた。そこは住民の努力によって今や、日本の最先端を行く福祉、自然エネルギーの町と変わっていた。

まず訪れたのは秋田県との県境にある旧沢内村だ。今は町村合併で西和賀町となっている。新幹線で北上駅からローカル線に乗り換え、「ほっとゆだ駅」で降りて県道を車で20分走ると、2階建ての町営病院の広場に、深澤晟雄(まさお)資料館が建つ。

故深澤晟雄氏は、今から半世紀ほど前に、旧沢内村の村長だった。彼が村長になったとき、沢内村は日本で最も貧しい村だった。村に医者がいないばかりか、治療代が払えないため病気になっても病院に行けず、村人が医者にかかることができるのは死んで死亡診断書を書いてもらうときだけ、と言われた。生まれたばかりの乳幼児の死亡率は全国最悪だった。加えて、全国でも名高い豪雪地帯で、冬は県道が3mもの積雪で埋まり、村は孤立した。人間が住むにはあまりに過酷な、いわば日本で最低の村だったのだ。

深澤氏は村長になると、まず豪雪対策を打ち出した。貧しい村の会計からブルドーザーを購入して雪をかき、冬季の交通を確保した。最初は村人の目は冷ややかだった。いくら雪かきをしても、まだ雪は降ってくるのだから無駄だと避難された。しかし、これで冬でも町に出ることができるようになった。ブルドーザーは夏には新田を開墾し、コメの生産が急激に増えた。何よりも効果があったのは、人々の心から「あきらめ」を取り除いたことだ。「やればできるんだ」という意識が生まれた。

次に取り組んだのが医療だ。

深澤氏が打ち出した目標は「すこやかに生まれ、すこやかに育ち、すこやかに老いる」ことだ。これを実現するため、どんな僻地でも、どんな貧乏でも、24時間、365日にわたって最新の医療が受けられることを医療行政の柱とした。日本国憲法で保障されている生存権を村が保障しようとしたのである。

具体的に行ったのが、乳幼児の死亡をゼロにすることだった。貧しい財政から保健師3人を採用した。保健師は雪をかきわけて山をめぐり、生まれたばかりの赤ん坊が病気で亡くならないように尽くした。その結果、沢内村は今からちょうど半世紀前の1962年、全国で初めて乳幼児死亡率ゼロを達成した。この7月、「乳幼児死亡ゼロ50周年の集い」が資料館で開かれ、当時の医師や看護士が当時の思い出を語った。

次に行ったのがお年寄り対策だ。村では、年をとって働けなくなると厄介者扱いされたり、家庭で引け目を感じたりして、お年寄りは病気になると、むざむざ死を待つ人が多かった。そこで深澤氏が考え出したのは、65歳以上のお年寄りの医療費を無料にすることだった。

それを決めたとき、岩手県庁から待ったがかかった。当時の国の法律は75歳以上が無料で、村がやろうとしていることは国の法律に違反しているからやめなさい、と言われた。県が言えば、普通の村は引き下がる。しかし、沢内村は違った。深澤氏は「我々がやろうとしていることは憲法にかなっている。国はやがてあとからついて来る」と言って、一歩も譲らなかった。のちには、60歳以上を無料にした。

こうしたことから「生命村長」と呼ばれた深澤氏は、身命を賭けて努力した結果、自分の身体はガンに侵され、任期半ばで亡くなった。棺が病院から村に帰ってきたとき、猛吹雪をついて村民は泣きながら沿道で立ち尽くして迎えた。今、町立病院の前に建つ深澤晟雄資料館には、深澤氏を記念する資料が展示されている。資料館の前には、深澤氏の胸像と「老人医療無料診療発祥の地」の記念碑が建つ。

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旧沢内村のあとで私が訪ねたのは、岩手県の内陸部で「岩手県のチベット」と呼ばれた葛巻町だ。ここには、もよりの鉄道駅さえない。町民は言う。「ないのは駅だけではない。温泉も、ゴルフ場も、コンビニもない」。盛岡市からバスで2時間近く。着いてみると、たちかに何もないことが実感できる。役場の周辺に普段着の洋服屋、雑貨屋、薬屋などがわずかに軒を並べるだけだ。バス停の前に町民がつくった野菜を並べる小さな市場があり、その2階に喫茶店が一つあるだけ。

この町は、しかし、日本で最も早く発達した「自然エネルギーの町」だ。産業廃棄物処理場の計画が持ち上がったとき、普段は口の重い町民が「豊かな自然を守ろう」と声を上げた。町も、その声に沿って自然をアピールする政策を掲げた。町会議員がデンマークに視察に行き、風力発電に目を見張った。そこから東京の風力発電の会社とともに風車3基を建てたのが1999年だ。風車は今や15基に増えた。小中学校の敷地には太陽光発電のパネルが並ぶ。町営の牧場はバイオマス発電に取り組む。町は自ら「新エネルギーの町」を宣言した。福島第一原発の事故で自然エネルギーがようやく脚光を浴びるようになったが、それよりはるか前から自治体独自で、新たな街づくりを進めた成果だ。

町の職員は言う。「何もなかったからこそ、何かするしかなかった。無いものねだりでなく、あるもの探しをした結果です」

あるものとは、人間の力だ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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