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活憲とヒューマンライツ(人権)

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幸せなら態度で示そうよ

「あけぼの」2012年11月号) 伊藤千尋


8月下旬、横浜からベトナムまで1週間の船旅をした。世界の紛争地や変革の現場を訪ねて平和と未来を考えるNGOピースボートの船に、講師として乗ったのだ。出航の翌日から海は大荒れとなった。それもそのはず、このとき台風が沖縄を直撃していた。

11階建てのホテルがそのまま船になったような4万トンの大きな客船が、台風の大波のため木の葉のように縦揺れ、横揺れした。乗っていた900人の客の多くは、船酔いで寝込んだ。だが、私はまったおく平気で、9回の船上講座を開いた。この春からめまいのために飲み続けている薬が、船酔いに効いたらしい。何が幸いするかわからないものだ。

乗客の半分は60代以上の「時間もカネもある」人だが、300人は20代から30代にかけての若者だった。その多くが、勤めていた仕事を辞め退職金で乗り込んだ人々だ。世界を見て自分の新しい人生を切り開きたいと考えたのだ。

年配の乗客の中に、高齢だが、はつらつとして若々しく見える男性がいた。78歳の木村利人さん。早稲田大学人間科学部の名誉教授である。実は、坂本九が歌った「幸せなら手をたたこう」の作者だ。お名前は、「りひと」と読む。ドイツ語で光を意味するリヒトから名づけられたと言う。

「幸せなら手をたたこう」の歌が生まれたいきさつをうかがった。

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木村さんは早稲田大学の学生だった1959年、フィリピンを訪れた。国際YMCAのワークキャンプに、日本代表3人の1人として参加したのだ。第2次大戦が終わって14年とはいえ、キャンプ地となった小学校のそばの浜辺には、上陸用舟艇が残骸をさらしていた。

迎えたフィリピン人は、木村さんを見て殺気立った。戦時中に日本軍は、米軍の傘下で日本軍と戦ったフィリピンの軍人だけでなく、一般市民も殺した。キャンプの若者の中には、母親を日本軍に殺されたフィリピン人もいた。「あんたが来たら殺そうと思っていた」という人もいた。

一方で、日本人を敵視するのでなく許そう、という若者たちもいた。そもそも受入れ団体が、お互いに許しあって仲良くしようというNGOだった。木村さんは黙々とトイレの穴掘りなど、ボランティア活動しつつ、キリスト者として祈った。その姿を見ているうちに、フィリピン人の目も態度も変わってきた。

小学校の校庭からは子どもたちのはずむような歌声が聞こえてきた。耳に残るそのメロディーはスペイン民謡だという。フィリピンは米国の支配を受ける前スペインの植民地だった。その当時から伝わる歌だろうか。みんなでいっしょに仲良く遊ぼうという歌詞だ。

木村さんの脳裏に、旧約聖書の詩篇47にある「CLAP YOUR HANDS」という言葉が浮かんだ。手をたたいて神を称えよ、という内容だ。心に思っただけでなく、態度で示すことが必要なのだと考えた。幸せであることも態度で示すことが肝心だと思った。帰路のフランス船の上で、子どもたちの歌うスペイン民謡のメロディーを基礎に、聖書にならった歌詞をつけたのが「幸せなら手をたたこう」だ。10番まで作詞した。

早稲田奉仕団の学生会の初代会長となった木村さんは、夏のワークキャンプでこの歌を歌った。やがて歌声運動でも歌われるようになった。しばらく作者不明のまま広まっていったが、これを耳にした坂本九が作曲家いずみたくに聴かせ、いずみが編曲してレコードとなり、全国的にヒットした。その過程で木村さんが創った歌だとわかった。

1964年、東京オリンピックの年である。

日本は戦後の復興を果たし、高度成長を謳歌していた。ベトナム戦争や公害などが大問題として噴き出る前で、世の中は幸福感に浸っていた。そうした時代を反映したのがこの歌だ。覚えやすいメロディー、みんなでいっしょにやる楽しさも相まって、日本のあちこちで歌われた。

日本だけではない、1972年、木村さん夫妻がスイスのレストランに入ると、日本の観光団が入ってきた。すると、それまでヨーデルを歌っていた現地の人々が「幸せなら手をたたこう」を歌いだした。東京オリンピックのさいにソ連の体操チームの入場行進曲としてこの歌が使われ、そこからヨーロッパに伝わったらしい。

この歌を中南米に伝えたのは、実は、この私だ。その前年、大学生だった私は国際ボランティア・グループの一人としてキューバで半年、サトウキビ刈りの労働をした。小学校を訪れたさい、小学生たちがキューバの歌を歌ってくれたお返しに、何か日本の歌を歌うことになった。

日本人グループの自治会長をしていた私がとっさに選んだのが、この歌だった。「故郷」や「赤とんぼ」はしんみりして、その場の雰囲気にそぐわない。「幸せなら手をたたこう」ならぴったりだし、みんなで手をたたいたり、足を鳴らして楽しめると思ったからだ。実際、子どもたちも先生も、喜んで手をたたき、笑った。もっとも、たった1回しか歌っていないので、この歌を「広めた」とまでは言えないのが残念だ。

木村さんは話す。「戦争の悲劇の中で、苦しみと、再び戦争を繰り返すまいとう決意の中から生まれた歌です。この歌には不戦の誓いが込められています」


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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