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「金曜デモ」が日本の市民の歴史を変える

「あけぼの」2012年12月号 ) 伊藤千尋


日本の市民運動の歴史を塗り替える新しい動きが起きている。脱原発を掲げる首相官邸前の金曜デモだ。3月から一度も途切れることなく毎週、半年以上も、東京の中枢で市民による抗議デモが繰り広げられてきた。原発の再稼働への国民の怒りが、眠っていた日本の民主主義も再稼働させた。

最初は300人ほどだった。それが徐々に増え、6月に政府が大飯原発の再稼働を宣言すると参加者は激増し、千人さらに万人単位に膨らんだ。7月16日には東京・代々木公園で大江健三郎氏らによる「さよなら原発10万人集会」が行われた。29日には延べ20万人が国会を包囲した。8月には代表10人が野田首相に会って抗議した。その模様を首相側は非公開にしたいと言ったが、ネット中継まで認めさせた。

かつての60年安保や70年安保の時代のデモとは性格が大きく違う。安保のときの呼びかけや行動の主体は学生や政党、組織労働者だった。今回のデモを呼びかけたのは13団体から成る首都圏反原発連合だ。地域の環境団体や少数の有志が集まった小さな市民団体が、穏やかなネットワークでつながった組織だ。参加する人々も30代から40代の普通の若者だ。ベビーカーを押す若い母親、ネクタイをしたサラリーマンたちである。

特徴的なのは、訴えを脱原発だけに絞ったことだ。団体の旗は掲げないし、ビラの配布もしない。マイクは用意したが、一人の発言は1分だけに限る。開始は午後6時、8時までで、どんなに盛り上がっても8時になれば解散する。こんな現場ルールをつくって、スタッフ100人ほどが駆け回り、ルールからはみ出た行動があればやんわりと注意する。あくまで整然とした抗議行動に徹している。非暴力の直接行動なのだ。

こんな風だから、思想や信条を超えて幅広い人々が集まる。来られるときに来て、好きなときに帰る。参加者の多くは、デモなんて人生で初めてという人々だ。いや、デモとうよりは、それぞれの人が自分の主張を手作りのプラカードで掲げながら歩くという姿だ。「隊列」がないため、警官が規制に入ってデモを分断しても、それぞれの人が独立した存在だから何の影響もない。

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マスコミが報道しないときに、どうやって彼らがこの動きを知ったかといえば、ツイッターの存在が大きい。参加者の4割はツイッターで知ってやってきたという。他のネットを合わせると2/3の人々がインターネットを通じてこの動きを知り共鳴して参加した。ほかに口コミが2割。新聞やテレビで知った層は1割しかない。

首都だけでなく、これが全国に広がっている。各県の県庁前でも地元の市民が金曜デモを行うようになった。各地の電力会社の門の前や首相の私邸前でのデモなど、あちこちで自発的に行われている。脱原発だけでなく、毎週水曜日には首相官邸前で「このまますすむと困っちゃう人々の会」が、弱者を切り捨てるなという抗議行動を続ける。

都心で始まった動きが手を変え品を変えて、日本列島各地に急速に広がったわけだ。原発事故であれぼどの被害を出しながらなおも再稼働させた政府への不信が、普通の市民を行動せずにはいられない気持ちに駆り立てた。

その力が、マスコミを動かした。これまで市民のデモに冷淡だった新聞やテレビも、報道をし始めた。たとえば朝日新聞は7月21日、「街頭へ」という連載の形の記事を開始した。業界で通称「ワッペン」と呼ばれるマークをつけたのは、今後も毎週、市民の動きを報道する姿勢の表れだ。国会大包囲網のときは社説で「直接民主主義の機運」と書いた。市民の動きに鈍感だったマスコミを、市民の運動が動かしたのだ。

米国でも同じような動きが起きた。ニューヨークの金融の中心であるウォール街の広場を占拠する若者の運動が起きて9月で1年になったが、米国の新聞ニューヨーク・タイムズは当初、若者の暴走だと批判していた。しかし、多くの市民が占拠に加わるにつれ、社説は若者を支持するように変わった。

これに対して政府はうとかった。危険な原発を再稼働させるな、という市民としてはごく当たり前な声を野田首相は最初、単なる音としかとらえなかった。1960年の安保闘争の時代、当時の岸首相が目の前のデモを無視するため、「声なき声」があると語ったのに似ている。

ともに自分にとって都合のいい声しか声と認識しない不思議な人々だ。江戸時代や軍国主義の時代ならまだしも、民主主義の今の世の中で人々の声を聞かないのは、もはやそれだけで政治家としては失格だ。

動員されるのでなく、市民自らが立ち上がるという方式が最初に全国規模で現れたのは「九条の会」だった。国民の多くが存続を望んでいる平和条項が、政治家の手で葬られるかもしれないという事態に臨んで、普通の市民が声を上げ、職場や地域、友人らとかたらって市民組織として「九条の会」を立ち上げた。それが全国で7,000以上にもなった。かつてない現象である。各地で思い思いの行動を繰り広げてきた。

それが街頭での直接行動に変化したのが、今回の金曜デモだ。これがさらに全国に広がれば、国を変える力となるだろう。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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