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活憲とヒューマンライツ(人権)

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核には策を、ミサイルにはスマイルを

「あけぼの」2013年2月号) 伊藤千尋


日本や韓国で選挙があるたびに、北朝鮮からミサイル騒ぎが持ち上がる。それを聴いて、いつ自分の家にミサイルが落ちるかと脅える人がたくさんいる。

そんなに心配しなくてもいい。北朝鮮のミサイルについてきちんと知れば、不安は急速に遠ざかる。何も知らないから怖がるだけだ。

北朝鮮がなぜミサイルにこだわるのか。その理由は貧しいからだ。軍事の世界では、ミサイルを「貧者の核兵器」と呼ぶ。本物の核兵器や最新兵器を持てない経済的に貧しい国が、仕方なく頼るのがミサイルなのだ。

今の戦争は、米軍がイラクでやったように、飛行機で現地の上空からコンピュータ付きのミサイルを撃つのが一般的だ。北朝鮮はそれができない。持っている飛行機のほとんどが、今の時代に合わない旧式だ。

飛行機はパイロットが操縦して初めて武器として使える。米国空軍のパイロットは一人年間平均、240時間の訓練をしている。日本の航空自衛隊は180時間だ。離着陸を円滑にするだけでも年間30時間の訓練は欠かせない。では、北朝鮮のパイロットはどのくらい訓練しているのか。答えは、わずか9時間である。なぜか。飛行機を飛ばすには燃料が必要だ。その燃料を買うカネがないからだ。

つまり、飛行機があってもないのと同じだ。だからミサイルに頼るのだ。米軍が沖縄の嘉手納基地に置く最新鋭の戦闘機は一機が1億8000万円するが、北朝鮮のミサイルは一つ2000万円である。日本人でもマイホームをあきらめればマイミサイルを持てるくらいの安上がりの兵器だ。

北朝鮮が日本向けに持っているミサイルの効果はどんなものか。実はすでに実戦で使われている。1991年の湾岸戦争でイラクがイスラエルに向けて飛ばしたスカッドⅡが同型だ。このとき39発撃たれて、イスラエル側の死者は4人だった。うち2人はミサイルが飛んでくるというニュースを聴いて心臓まひで亡くなったおばあさんだ。実際の被害者は2人である。つまり北朝鮮のミサイルは、20発撃ってようやく一人を殺せるかどうかという効率の悪い兵器なのだ。米軍のミサイルとは性能に雲泥の差がある。

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ミサイルが怖いのは、弾頭を核に積んでいるときだけだ。だったら、北朝鮮に核開発をやめさせればいいだけの話だ。その枠組みはすでにある。中国や米国を巻き込んだ6か月協議が小泉政権時代に始動した。これをそのまま続けて北朝鮮を対話に取り込み、その間は核開発をやめさせることが日本にとっての得策だ。自民党が安倍首相だった時代、北朝鮮憎しで経済制裁したが、その結果、北朝鮮は核開発に走った。

こうしたことを知れば、北朝鮮を相手にどんな政策で臨めばいいかは明らかだろう。制裁を科すといえば勇ましいが、それが核開発につながるなら、日本にとって逆効果である。要は笑顔で対話に巻き込むことだ。

だが、対話で解決できると説くと、たちまち感情的な反論が飛んでくる。

「中国は航空母艦を持った。北朝鮮はミサイルを飛ばす。こんな乱暴な国を相手に、武装放棄なんてしたくない。日本も核武装すべきだ」。とくにいまどきの若者がそう言う。

おいおい、君らは歴史から何を学んだのか、と問いたい。おそらく、コロンブスが新大陸に行ったのは1492年だとか、平安時代が始まったのは794年だとか、そんなことを覚えるだけで終わったのだろう。彼らに言ってやりたい。学問とはまるかじりで覚えることではないよ、自分の頭で考えることだよ、と。

隣の国が武装しているから自国も武装すべきだというのは、近くにいる暴力団に対抗するために自分も暴力団を結成しようというのと同じ考え方だ。友だちがブランドのバッグを買ったから私も欲しい、というのにも共通する。はっきり言って野獣の、あるいは幼児の発想だ。

利害の食い違いを武力や暴力で解決しようとすれば自分にも相手にも悲惨な状況をもたらす。紛争に明け暮れ、戦争で肉親を失った人類がようやく気付いたのが、粘り強く対話で解決するのが結局は一番いい方法なのだ、という素朴な結論だった。

中国や北朝鮮は、民主主義を一度も経験したことがない。何事も暴力で解決してきたから、ひたすら軍備の増強に走る。国内でも反対勢力を武力で弾圧する。そうした国には、いささかでも民主主義を経験した国として、対話の価値を教えればいい。けっして無理な話ではない。中国も北朝鮮も国連の加盟国だ。まったく話が通じないわけではない。

感情に走って軍備を増強すればどうなるか、を考えてほしい。米国は軍事化を突き詰めた結果、軍事費が突出して財政が大赤字になり、国民の福祉や教育、医療費が削られてしまった。教育予算が減らされて教師の給料が払えなくなり、先生が次々に解雇されている。超大国といいながら、国民生活の質は落ちている。

同じく超大国だった旧ソ連は米国と軍事競争をした結果、国が破たんしてしまった。ロケットを宇宙に飛ばせても、国民にパンを食べさせることができなかったのだ。国威の発揚と声高に叫ぶ政治家には眉に唾しよう。それは国民生活を壊し、市民に犠牲になれ、ということだ。

戦争の世紀と呼ばれた20世紀を経た今こそ、人類が軍事から対話に具体的に舵を切った時代にしたい。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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