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活憲とヒューマンライツ(人権)

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真珠のような憲法 光らせるのは私たち

「あけぼの」2013年3月号 ) 伊藤千尋


2013年の年明けとともに、アメリカから悲しい知らせがもたらされた。日本国憲法を起草したチームの最後の一人、とりわけ女性の権利を盛り込むのに力を尽くしたベアテ・シロタ・ゴードンさんが、2012年の暮れにがんのため亡くなった。89歳だった。

ベアテさんに会ったことがある。1998年4月のことだ。ジェームス・三木さんがベアテさんの生涯を描き青年劇場が制作した舞台「真珠の首飾り」の楽屋だった。銀髪で、ふくよかな、見るからに人の良さそうな、それでいて凛としたおばあちゃんで、流ちょうな日本語で憲法への思いを語った。

「この憲法ができてから、日本はほかの国の兵隊を一人も殺さなかった。世界に自慢できる憲法です。憲法9条は世界の平和のために必要です。ほかの国がこの条項をモデルとして見習うべき条文です」

日本国憲法は押しつけだと言う主張には、笑って反論した。「日本の憲法は米国の憲法よりもすばらしい。自分のものよりいいものを押し付けたとは言わないでしょう」

ベアテさんの父は世界的なピアニストだ。その演奏を聴いた山田耕筰が、今の東京芸大である東京音楽学校の教授に招いたのを機に、生まれ故郷のオーストリアから日本にやってきたのは5歳のときだ。

父はウクライナ生まれのユダヤ人だ。ヨーロッパでユダヤ人排斥が始まったため帰国できず、一家は日本に居ついた。最初はドイツ系の学校に通ったが、ユダヤ人だと虐(いじ)められてアメリカン・スクールに転向する。大学もアメリカに留学した。

こうした中で、父母が話すロシア語や、友だちと話したドイツ語と英語、住み着いた日本の言葉はもちろん、学校や家庭教師からラテン語とフランス語を習い、6か国語を話せるようになった。

米国への留学中にアジア太平洋戦争が始まった。ベアテさんを訪ねて米国に来ていた父は米国に留まるように勧められたが、「教え子が私を待っている」と、危険を顧みず日本向けの最後の船に乗った。日本に着いた10日後に日米戦争が始まった。

仕送りが途絶えたベアテさんは日本語の短波放送を英語に訳すアルバイトでしのいだ。さらにタイム誌のリサーチャーをした。戦争が終わると、日本に戻るための職を探し、連合国最高司令官総司令部、つまりGHQの民間人要員となった。

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配属された民政局での任務が、新憲法の草案をつくることだった。日本政府が作った憲法草案は天皇主権など戦前の憲法とほとんど変わっていなかったため、GHQ側で急に草案を示すことになり「1週間でつくれ」とチームが編成された。このときベアテさんは22歳だった。

メンバーは、米国憲法を上回る理想主義をここに盛り込もうと燃えた。日本人の進歩的な学者、高野岩三郎らの憲法研究会がつくった草案も参考としたが、まずは世界の憲法を参考にしようと考えた。ベアテさんは瓦礫となった東京を回り、焼け残った図書館から世界の憲法を集めた。米国やフランスの憲法はもちろん、進歩的だった第一次大戦後のドイツのワイマール憲法さらにソ連憲法も読んだ。ここでベアテさんの語学力が役にたった。

ベアテさんが担当した「人権委員会」で、彼女がとくに力を入れたのが女性の権利だ。幼いころ見た日本は絵に描いたような男尊女卑の社会だった。夫の三歩後ろをうつむいて歩き、親の決めた相手と結婚させられ、男子が生まれなければ離婚される。こんなひどい状況を変えるチャンスだ。実は米国の合衆国憲法にさえ女性の権利はほとんど記されていないが、ベアテさんは日本の世界の理想を実現しようとした。

「妊娠と幼児を持つ母親は国から保護される」「女性はどのような職業もつく権利を持ち、男性と同じ賃金を受ける権利がある」。子どもについても「児童は医療、歯科、眼科の治療を無料で受けられる」と書いた。配偶者の選択から妊婦の保護まで詳細に書いたため、人権の項目だけでも41もの条項になった。

長すぎる文が精査された。軍人の男性の手で削られていく部分を、彼女は泣いて抗議した。日本の女性のために、そして世界の人間のために。

その意志が新憲法に成文化されたのは、第24条「個人の尊厳と両性の平等」25条「生存権」27条「働く権利」そして14条の「法の下の平等」だ。9条の平和主義と並んで日本国憲法の真骨頂を示す部分は、この22歳の一人の女性の主張で歴史の中に生まれたのだ。

亡くなる直前の昨年12月、病床のベアテさんは朝日新聞のインタビューに答えた。年末の総選挙で女性の当選者が少なかったこと以上に気にしたのが、改憲の動きだ。「逆戻りしたら大きな損失です」

平和条項と女性の権利を守ってほしいというのが、最後の言葉だ。葬儀で献花しなくていいから、その費用を日本の「九条の会」に寄付してほしいと語った、と遺族は話す。

いま、日本ではタカ派の安倍政権が極右の維新の会ともども、改憲に突っ走ろうとする。九条を変え、「失われた日本女性の良さを取り戻す」という理由で再び男性にへりくだる女性をつくろうとしている。

戦後の混乱期に、22歳の女性が精魂込めて創り出した人類の理想の憲法を守り、活かそう。それこそ、今こそ私たちがやるべきことだ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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