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民衆とともに歩む ニカラグア閣僚神父の涙

「あけぼの」2013年5月号 ) 伊藤千尋


教皇ベネディクト16世の退位を聴いたとき、すぐに目に浮かんだ人がいる。中米ニカラグアの教育相だったフェルナンド・カルデナル神父だ。私の目の前で大粒の涙を流して叫んでいた姿を、今もありありと思い出す。今から30年近くも前の、1984年のことだった。

当時のニカラグアは革命で成立した左翼政党、サンディニスタ民族解放戦線が政権を握っていた。その閣僚にカトリック神父が4人もいた。うち一人が、このカルデナル教育相である。

神父が左翼政権の閣僚と聴くと驚くだろう。私は最初はなぜ? と首をかしげた。だが、現地で取材すると、それは当然だと思うようになった。

この国で革命が起きたのは1979年だ。貧しい人々のための政府を掲げて、独裁政権を倒した。その独裁政権を操っていたのが米国である。当時のニカラグアは米国の「バナナ共和国」と呼ばれた。米国資本のバナナ農園が広がり、ニカラグア国民は奴隷労働のような低賃金で働かされていた。こうした植民地のような状況を変えようと、駐留した米海兵隊に対してゲリラ戦を開始したのがサンディーノ将軍だ。

サンディニスタとはサンディーノ将軍の遺志を継ぐサンディーノ主義者という意味である。革命が成功すると直ちに農地解放に取り組み、土地を持たない農民12万人に土地をもたらした。教育と福祉に力を入れ、中学生5,000人が地方に散って農民に文字の読み書きを教えた。教育を無料にしたため、貧しい40万人が学校に行けるようになった。

これに対して権益を失った米国は「サンディニスタは共産主義者だ」と攻撃し、米国に逃げた独裁軍の兵士たちを組織して反政府ゲリラに仕立てた。このためニカラグアでは内戦が始まった。

そのニカラグアで貧しい民衆のため、教育改革の先頭に立っていたのがカルデナル神父である。神父が共産主義の政府の閣僚になるなどもってのほかだとして、ローマ教皇庁は5項目の批判を挙げ、カルデナル神父に神父か閣僚かのどちらかを辞任するように迫った。その急先鋒だったのが教理省長官だったラツィンガー枢機卿、すなわちベネディクト16世である。

カルデナル神父は「神は私が祖国と民衆を見捨てるよう望んではおられない。貧しい人々の救済を怠ることこそ罪である」と反論し、神父をやめるつもりも閣僚を辞任するつもりもないことを宣言した。このため神父は教会から処分された。1984年12月10日のことだ。

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翌11日、カルデナル神父の記者会見がニカラグアの首都マナグアで開かれた。私は会場で一番前の中央の席に座った。目の前に座った神父の表情は、憔悴(しょうすい)しきっていた。

マイクの前でカルデナル神父は一言ひとこと、のどから振り絞るように語った。5項目の批判に一つずつ反論したあと、「この国では内戦で8,000人が殺された。教会は殺人に目をつぶれと言うのか」とつぶやくように言った。

しばしの沈黙のあと、こぶしを握りしめ、白髪を振り乱して叫んだ。「ニカラグアで問題なのは共産主義ではない。飢餓だ。国民は飢えている。教会は貧民に黙って死ねと言うのか。教会は私に貧民を見捨てよと言うのか」。その目から、大粒の涙がこぼれた。

また沈黙が続いた。うつむいていたカルデナル神父はキッと顔を上げて言った。「私は貧民とともに歩む」。そして、「処分はきわめて苦痛だが、祖国と革命を放棄することはそれにも増す痛みだ。いかなる力も私から聖職を奪うことはできない」と言い切った。権威に抗して宗教者としての原点を貫く決意を示したのだ。

さらに神父は、ニカラグアが米国の武力の脅威にさらされ国民が貧困のどん底にある時期にこの処分がなされたことを指摘して「これは政略だ」と断言した。「バチカンの政策には欧州の視点しかない。中南米と欧州の社会の違いを認識してほしい」と述べた。

当時の中南米には、このカルデナル神父のように、虐げられた民衆のために社会改革の最前線で行動する聖職者が多くいた。彼らを支えたのが「解放の神学」と呼ばれた神学である。私は日本にいたとき、この考えを理解しがたかった。が、現地に行って民衆がおかれたあまりにひどい状況と、それに対して身を挺して闘う聖職者の崇高な生き方を見たとき、初めて納得した。

カルデナル神父の処分の直後、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が南米ペルーを訪れた。私も行った。スラムで人々の悲惨な生活を見た教皇は説教の直後、突然マイクをつかみ、腕を振り上げて語った。「飢えた人々よ、あなたがたの日々のパンの欠乏は解決されなければならない。飢えた人々にパンが与えられるよう、あらゆる方策が講じられなければならない」と、ペルー政府に富の公平な分配と社会正義の実現を求めた。

教皇の帰国後、ペルーの大学で「解放の神学」の学習会が15日間にわたって行われ、中南米各地から4,000人が参加した。教皇の発言を「教皇自身が『解放の神学』の正当性を認めた」と受け取って、教会として社会改革にいっそう力を入れる方針を打ち出したのだった。

教皇の後継には南米出身として初めて教皇フランシスコが就任した。世界最多の信徒を抱える「カトリック大陸」南米は歓迎している。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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