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活憲とヒューマンライツ(人権)

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「二十四の瞳」が訴える 人間としてまっとうな生き方

「あけぼの」2013年9月号 ) 伊藤千尋


日本映画界で巨匠と呼ばれた木下恵介監督の生誕100年を祝って、昨年からさまざまな行事が行われている。木下監督の代表作と言えば、「二十四の瞳」だ。「一発の銃声も聞こえない反戦映画」と呼ばれる。

瀬戸内海の小豆島の小学校の分教場に赴任した若い女教師大石先生は、受け持った12人の子どもたちの個性を輝く瞳を見て「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」と愛情を注ぐ。子どもたちも先生を慕い、大石先生が大けがで学校を休むと、先生に会いたいばかりに8kmの山道を泣きながら大石先生の自宅まで歩く。松葉づえの先生とともに写った記念写真を、子どもたちは宝物のように大事にした。

やがて世の中の矛盾が小さな子にのしかかり、貧しさのために身売りされる子、一家で夜逃げに追い込まれる子も出た。戦争も始まった。大石先生は「命を大事にする人間になって」とさとす。このために「アカ」だとうわさされる。男の子は戦場に行き、半分が戦死した。

戦後、再び分教場の教師となった大石先生のために、社会人となった教え子たちが同窓会を開いた。席上、あの懐かしい記念写真が披露される。戦場で失明した男の子がその写真を手に取り、「目の玉がなくなっても、この写真は見えるんじゃ」と言い、どこにだれがいるかを指す。

感動する映画だ。5月に横浜で行われた上映会を見に行くと、周囲からはすすり泣きの声が驚いた。女性も男性も、泣いていた。

この映画は「日本の映画史上、最も多く最も深く観客を泣かせた映画」と呼ばれた。映画評論家は「木下映画は常に弱者の視点から作られており、涙を隠さない。涙こそは強者を駆逐し、人にモラルを取り戻させる最大の道具になりえることを教えてくれる」と語る。

原作は女性作家、壷井栄の同名の小説だ。小豆島に生まれ、12人の子どもをかかえた貧しい家に生まれ栄は、小学生のときから放課後は子守をして働き、卒業後は郵便局に勤めた。上京して同郷のプロレタリア詩人、壷井繁治と結婚した。隣には林芙美子、近所に平林たい子が住み、助け合って貧しい暮らしをきりもりした。文学に目覚め最初の小説を書いたのは39歳で、「二十四の瞳」は53歳の作品だ。遅咲きだが、満開の桜となった。

夫が治安維持法違反で投獄されると「国賊」と非難されながらも、生き方に筋を通した。「二十四の瞳」が映画化されて記念碑が建てられたとき、碑を揮毫(きごう)したのが再軍備論者の鳩山一郎だと知って、除幕式への出席を拒否した。困った主催者側が、言いたいことを言っていいからと言うと、出席してまず鳩山を批判した。

小説を読み、映画を見て思う。これは反戦平和の主義主張を表面に出した作品ではない。思ったことをまともに口にすることもできない暗黒の時代に、まっとうな生き方を貫いた市井の一人の人間を描いている。

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ロケの現場となった小豆島に行ってみた。大石先生が自転車で通勤した道を、私も自転車で走った。アップダウンが続く海沿いの道を20分走ると、岬の分教場に着いた。今は廃校となったが、実際に存在した分教場の建物をロケに使ったのだ。

教室には、訪れた人々が自分の思いを記したノートが100冊以上も置いてある。書き込んだ多くが教師たちだ。こんな言葉もあった。

「昭和30年の初頭、『二十四の瞳』の映画を見て戦争の悲惨さと平和の有難さをかみしめ涙しながら、将来是非教師になろうと心に決めました。平成6年に退職するまで約40年近く広島県の工業高校の教師として自分なりにがんばり、無事退職いたしました。教え子には『平和の尊さ』を教え続けました。20数年前に訪れたこの教室は私の教育の原点です。この教室が『平和日本』を考える発信基地になればと思います」

このように真剣に社会に向き合う人がいる反面、社会はなかなか変わらない。貧富の格差は縮まるどころか広がる一方だ。原発の事故が起きてもまた新しい原発を造ろうとする政府、これをおかしいと言えばたたかれるおかしな社会。今と「二十四の瞳」で描かれた戦前と、さほど社会のありようは変わっていないようにみえる

閉鎖的で変化を恐れる保守的な土壌は、簡単には変わらない。欧州や隣の韓国のように市民自らが民主主義を勝ち得たわけでないため、ともすれば「お上」に頼ろうとし、「お上」は偉いのだと思い込む。日本はいまだに非近代的な社会だ。

ただ、悲惨な戦争は体験した。被曝という他の国と違う地獄を見た。その戦争が今、ゲームの世界で「悪をやっつける正義の戦い」と称賛されるのは噴飯ものだが、命を尊ぶ人権の意識は戦前よりは広がっている。

木下監督は生前に49作もの映画を制作したが、作ろうとしてできなかった映画が2本ある。

日中合作の予定だった「戦場の固き約束」は、日中関係の悪化で制作中止となった。もう一つはフィリピンの戦場で命を落とした130人の看護師を描いた「女たちの戦場」だ。そのシナリオを読むと、冒頭のタイトルにこんな言葉が登場する。

「戦争の真のこわさは人間である相手を人間である自分が殺さねばならないことである。そして自分の中にそれのできる自分を思い知ることである」

心に潜む野獣を解き放てば、傷つくのは自分だ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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