home>ひめゆりと無名詩人 沖縄と福島をつなぐ生命

活憲とヒューマンライツ(人権)

バックナンバー

ひめゆりと無名詩人 沖縄と福島をつなぐ生命

「あけぼの」2013年10月号 ) 伊藤千尋


沖縄戦の悲惨さを象徴する「ひめゆり学徒隊」を取材するため、この夏に沖縄を一週間、訪れた。

「ひめゆり学徒隊」として動員されたのは沖縄師範学校女子部と、併設された沖縄県立第一高等女学校の生徒たちだ。それぞれの校友会誌「乙姫」と「白百合」を合わせて姫百合の名が生まれた。

今なら携帯電話ではしゃいでいそうな、青春の真っ盛りにある15歳から19歳の女子高校生222人。これだけの少女たちが、法的な裏付けもないまま軍の命令により、戦場の病院で負傷した兵士の看護活動をさせられた。

「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れると、亡くなった生徒と教師の遺影の部屋にレクイエムとして流れる曲がある。「別れの曲(うた)」だ。福島県から沖縄に赴いた若き詩人と「ひめゆり」の少女たちとの交流から生まれ、今も同窓会で歌われる。

動員直後に兵舎で卒業式が行われたさい、天皇のために身を捧げる内容の「海ゆかば」が歌われた。しかし、卒業生たちが練習していたのは、こんな無粋な軍歌ではない。この日のために創られた歌があった。歌われるはずだったのに歌われなかったのが、この「別れの曲」である。

作詞したのは福島県郡山市出身の太田博少尉だ。銀行に勤めながら詩を書き、「無名詩人」を自称した若者である。沖縄では高射砲隊に配属された。開戦の一か月前、沖縄から郡山の知人に当てた手紙に、こんな記述があった。

「満天の星、滴り落ちよ、南十字星を仰ぎ、敵襲に備えている」

高射砲陣地を造る指揮をとっていたさい、労働奉仕に来たのが「ひめゆり」の女子高校生たちだった。間もなく卒業式があると聞いて、はなむけに彼は「想思樹の歌」という詩を贈った。学校の入り口にあった想思樹(台湾アカシア)の並木を題材にしたものだ。

  目に親し 想思樹並木
  往きかえり 去り難けれど
  夢の如 疾き年月の
  往きにけん 後ぞくやしき

これを皮切りに四連から成る詩に曲を付け「別れの曲」として完成させたのは師範学校の音楽教師、東風平恵位(こちんだ けいい)教諭だ。東京芸大の前身、東京音楽学校の卒業生だった。生存した学徒の一人、与那覇(よなは)百子さんに思い出をうかがった。

          ☆    ★    ☆    ★    ☆

終戦の年の3月、与那覇さんが音楽室でピアノを弾いていると、東風平教諭がやってきた。「何か一曲、弾いてください」とお願いすると、東風平教諭はベートーベンの「月光」を奏でた。これが動員直前の最後の平和なひと時だったという。

動員されたあと、爆撃にさらされた戦場で出会った東風平教諭は「死ぬなよ、絶対に死ぬんじゃないぞ」と与那覇さんに言い置いた。それが最後の会話となった。東風平教諭は壕に潜んでいたさい米軍の攻撃を受けて亡くなった。たてこもった生徒たちと最後の瞬間まで、この歌を歌って励まし合ったという。

同じころ、太田少尉はここから数百メートル離れた地で最後の夜襲を敢行して戦死した。そのさい、動けない部下の兵士に対して、自決するようにとは言わなかったため、部下は命を全うできた。生き残った部下が今も彼に感謝している。当時の軍は、上官の命令が絶対だった。自決を命じられたら、部下は死ぬしかなかった。

敵に捕まる前に自ら命を絶つことが当り前だとされていた時代に、二人とも後に遺す人々に命の大切さをさとした。二人とも「ひめゆり」の生徒たちから慕われていた。太田少尉は東風平教諭の案内で「ひめゆり」の寄宿舎を訪れ、生徒が歌う「別れの曲」に耳を傾けた。

日米開戦の年の七月に太田少尉が米国人の女性教師のために作った童謡が残っている。郡山商業学校(現・郡山商業高校)時代に郡山教会で聖書と英語を教えてくれた宣教師のミス・アンダースンが帰国するにあたり、はなむけとして書いた「先生をお送りする歌」だ。「深き薫陶を賜へる恩師アンダスン先生に捧ぐ」という添え書きがある。

太田少尉は郡山教会で受洗し、商業学校時代には教会の日曜学校で子どもたちに聖書の話をしたという。徴兵される直前まで、敵性宗教、敵性言語とみなされたキリスト教と英語を熱心に学び、商業学校の校友会誌に自作の讃美歌を投稿した。シェークスピアの翻訳も試みた。

亡くなったとき太田少尉は24歳。東風平教諭は23歳。二人とも「ひめゆり」の少女たちとさして年齢は変わらなかった。

徴兵される直前、太田少尉は「墓碑銘」と題した詩を作った。

  うづめよ落葉 若き日の
  愛知りそめし 人の名を。

  つもれよ粉雪 わが頬の
  熱きなみだの 凍るまで。

  かくては春も めぐるころ
  名なき雑草 生ひいでむ。

  ひらけよ小さき 花をもて
  未完の詩句を 刻ましめ。

今、郡山商業高校の庭には、この詩を刻んだ「無名詩人の碑」と「ひめゆり」の少女をイメージした乙女の像が並んで建つ。像の台座には「別れの曲」が彫ってある。

未完の詩句は「一粒の麦」の如く、読む者の心をときめかしている。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

▲ページのトップへ