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沖縄戦の一枚の写真から 9条の記念碑を建てる思い

「あけぼの」2013年11月号) 伊藤千尋


沖縄戦でひどい目にあった地元住民の悲惨な状況を伝える名高い写真がある。着物姿の男性が天秤棒をかつぎ、両方のかごに負傷した幼い子を乗せて選ぶ図式だ。

「これは私の父。かごに座っているのは弟と妹です」と話したのは、沖縄南部の南風原(はんばる)町の元町長、金城義夫さん(77歳)だ。父親の後ろに兄、母と金城さんが続いていた。弟と妹は焼夷弾で焼かれ、顔がケロイド状になっていた。一家6人が米軍の捕虜となって収容所に向かう場面の写真だ。

この写真を撮られたとき、金城さんは小学校2年生だった。当時を思い出し、突然、歌を歌い出した。「ぼくは軍人大好きだ。今に大きくなったら……」「アメリカ、イギリス、我らの敵で……」。皇民化教育の残したものは、68年後の今もしっかり脳に染みついている。

軍国少年が教育に疑問を感じたのは、日本兵の実態を目の当たり見たことだった。「日本の兵隊は沖縄の住民を守るために来た」と教えられたが、日本の軍隊は壕に入っていた住民を追い出して自分たちが壕に入った。住民を空爆の下にさらしたのだ。当時の日本の軍隊は民衆のために戦っていたのではなかった。

「私たちを追い出して日本兵が入った壕に爆弾が落ちた。逃げ惑う道は日本兵の死骸だらけ。その上をまたぎながら、あてもなく逃げた。戦場は人間が人間でなくなる。戦争を起こしてはいけないのだという気持ちが湧いた」

高校を卒業すると那覇市役所に就職した。那覇に革新の平良市政が誕生したとき秘書課長になった。平良市長は憲法普及協議会長をし、憲法手帳を作って市民に配った。市長自身、ポケットに憲法手帳を入れて持ち歩いていた。那覇市内に与儀公園が完成したとき、ここに憲法9条の記念碑を建てようと提案したのが金城さんだ。立派な碑が完成した。

金城さんが南風原町長になったのは1986年。沖縄戦の激戦地になった南風原町長を平和の発信地にしようと訴えて有権者の支持を得た。町内には「ひめゆり学徒隊」が活動した陸軍病院壕がある。ここを含めた一帯を文化財に指定しようと考えた。だが、当時の文部省は「100年たたないと文化財には指定できない」とにべもなかった。

それなら町独自の文化財に指定しようと、沖縄戦終結から45周年の1990年、条例で町文化財に指定した。第二次大戦の戦跡を文化財に指定したのは、これが全国で初めてだ。広島の原爆ドームよりも早かった。

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国会で憲法改正が議論になった2004年には「はえばる9条の会」を結成した。大江健三郎さんたちによる全国の「9条の会」よりも2か月早い。9条を守るための草の根運動を広げなければならないという考えからだ。町長を退職したばかりの金城さんが会長に推された。以来、毎年5月3日には憲法講演会を開いている。

沖縄陸軍病院南風原壕が整備されて公開されると、壕の前の鎮魂広場に町民の寄付を募って憲法9条の記念碑を建てた。一口500円で50人の募金委員が家庭訪問すると、250万円の目標のところに280万円が集まった。

父親を沖縄戦で失ったデザイナーがキノコ型のデザインを描き、安い中国産の石を注文し、町内の女子高校生が揮毫(きごう)した。余ったお金で記念碑のわきに「鎮魂と平和の鐘」を建てた。両手を広げた形の支柱の間に小さな鐘が吊るされている。紐を引くと、澄んだ森にこだました。

「沖縄で痛めつけられた反省から生まれたのが今の憲法です。日本の犠牲の上に立って、二度と戦争を起こしてはならないという日本国民の発想の上でできたものです。アメリカに押し付けられたという人がいますが、この憲法は私たちの意志です」と金城さんは熱く語る。

那覇市南部の小禄(おろく)地区で今年3月、「小禄9条の会」が結成された。沖縄では31番目の9条の会である。結成総会で講演したのが「ひめゆり平和祈念資料館」の島袋淑子館長だ。「平和のためには何でもやならくてはならない。それが私の残された人生だと思っています」と語った。

小禄は第二次大戦のさい旧日本軍の陣地構築が集中し、沖縄戦で最も被害を受けた。今は那覇空港があるほか、陸上自衛隊の那覇駐屯地、航空自衛隊の那覇基地もある。それだけに沖縄でもとくに保守的で、反戦や平和を口にするのがはばかられる地域だった。そのような地で「9条の会」が設立されたことに大きな意味がある。

元教師の小渡律子さんを中心に有志6人で準備会を作り、戸別訪問して会員を募ると、呼びかけ人が79人になった。2か月後に結成総会にこぎつけた。「安倍内閣に背中を押されました」と小渡さんは笑う。

「私たちの世代は戦争の真っただ中で生を受けた。人に守られて生かされた。活動を憲法だけに限らず、あるべき町の姿を探りたい。平和の町づくりをすることで小禄を活性化したい」と語る。

実はこの結成総会に、私も祝辞を寄せた。「平和は願うだけでは実現できない。今こそ9条を守り、活かすために行動するときだ」と書いた。1月に沖縄で講演をしたさいに、小渡さんらが聴きに来てくれた。そのさいに9条の会の結成を目指していることをうかがったのだ。小禄9条の会は今や会員150人になった。

沖縄は活火山のように鳴動している。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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