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時と距離を超え伝わる「平和の鐘」の願い

「あけぼの」2014年1月号) 伊藤千尋


山口市の中心部に、幕屋を意識してテントのような形をした風変わりな教会が建つ。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを記念する山口ザビエル記念聖堂だ。ここではザビエルと濁らずにサビエルと呼ぶ。

ザビエルがこの地を訪れて領主の大内義隆から布教の許可を得たのが1551年。それから400年たった1951年に建てられた旧聖堂が火事で焼け、1998年にイタリア人の設計によって新しい形で再建された。

秋にこの聖堂を訪れた。前庭にザビエルの像が立ち、直径80cmの青銅の鐘が吊ってある。キリスト生誕2000年を記念する「大聖年の鐘」だ。案内板には「アジアに平和を祈る」と赤い文字で特筆してある。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に由来するものだった。世界各地を訪れて平和を呼びかけた教皇に応え、平和のメッセージが次の世代に伝えられることを願って、ローマで造られた鐘が五大陸に送られた。教皇が1981年に広島で平和のメッセージを述べたことから、アジアでは広島教区に贈られたが、ザビエルゆかりの山口に据えられたのだ。

だれでもこの鐘を鳴らすことができる。祈りの文句も案内板に書いてあった。「正義と平和の源である神よ……すべての人が、あなたの子どもとして平和のうちに生きることがあできますように」。鳴らしてみると、澄んだ音が響く。うれしくなって、3回も鳴らしてしまった。

ザビエルといえば、スペイン北部のバスク地方ナバラ州にあるザビエル城を思い出す。地元ではハビエル城と呼ぶ。バスク語で「新しい家」を意味するエチェベリがなまってチャベエレ、ザビエル、ハビエルと変化した。

ザビエルはこの城で生まれ19歳までここで育った。私が城を訪れたのは1991年で、旧聖堂が焼けた年だ。小ぢんまりとしているが本物の石造りの城である。周囲には幅2mの堀がめぐり、門の前には外敵の侵入から守るための跳ね橋がついている。

迎えてくれたのは71歳のホセ・ルイス・アルベルディ修道士だ。いきなり「私はこの城の幽霊だ」と話し、ヒェッヒェッヒェッと笑った。この城に50年も住んでいると言う。一人で暮らしているのかと問うと「そうだ。いや、コウモリといっしょだ」と言って、またヒェッヒェッヒェッと笑った。

修道士に案内されて城に入った。苔むした石段を上がり鉄の扉を押して入ると、正面は礼拝堂だ。ザビエルは毎日ここで祈ったという。奥の壁には「微笑みのキリスト」と呼ばれる像がある。ザビエルが中国で亡くなった日、この像が血の汗を流したという伝説が残っている。

礼拝堂の奥の壁の格子の中には骸骨が踊る絵が描かれていた。中欧によく見られる「死者の踊り」だ。「格子の中に入ってじっくり見たい」と言うと快く入れてくれた。「ここに入るのは教皇ヨハネ・パウロ2世以来、あなたが初めてだ」と修道士は言う。

城内にはザビエルの遺品やゆかりの品が陳列してあった。自筆の手紙、僧衣、ザビエルが鹿児島に上陸した様子を描いた掛け軸、「祈通日本信徒其宗徒人願成成就」と書いた旗もある。

実は、山口市のザビエル記念聖堂を訪れる3日前、私は熊本県天草地方を旅した。いくつもの島のあちこちに、島原の乱ゆかりの遺跡や「隠れキリシタン」の資料館があった。まさにザビエルをはじめとした宣教師たちの布教の跡である。

天草市立天草キリシタン館には天草四郎陣中旗が展示してあった。大きな聖杯の両側から天使が礼拝する図柄だ。旗に血痕や刀傷が残り、激戦の過去を物語る。館の下にある寺の石段の脇に立つ地蔵の顔は、鼻が高く目が大きく彫りが深い。まるでヨーロッパ人の宣教師をモデルにしたかのようだ。

「かくれキリシタン民俗資料館 サンタマリア館」は、背の十字架を浮き彫りにした加藤清正の像や天使のように翼を持つ観音像などを展示する。

隠れキリシタンと言えば長崎県平戸地方の島が名高いが、ここに伝わるオラショ(お祈り)の文句は当初のラテン語とはずいぶん違う。それだけ長い間、隔絶された中で人々が独自に信仰を守り続けてきたことに驚く。

隠れキリシタンはほかにもいる。香川県の小豆島を訪れたさいに耳寄りな話を聴いた。島の領主がキリシタン大名と呼ばれた小西行長だったため、島の山奥には今も隠れたキリシタンの伝統が残ると言うのだ。

島原の乱で島原の人口が減ったため小豆島から移民が渡ったが、その中に隠れキリシタンがいたと言う。権力によってキリシタンが一掃されたあと、権力によってキリシタンが入れられたのだ。彼らによって小豆島のそうめんが伝わり、今の島原そうめんになったのだと言う。

の距離で、また歴史的な時間の長さで、人々の意思は連綿と伝わる。ザビエル記念聖堂の「平和の鐘」に込められた願いは、これを鳴らす人々の数だけ世界に響きを伝えるように思えた。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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