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真の積極的平和主義へ ます社会の改革を

「あけぼの」2014年 3月号) 伊藤千尋


日本の首相たるもの、日本語を正確に使ってほしいものだ。未曾有を「みぞううゆう」と読んだ麻生氏のことではない。安倍首相は最近、「積極的平和儀主義」という言葉を言い出した。一見、平和を推進するように思える。だが、その内容は言葉とはまったく逆だ。

安倍首相が主張するのは「武力による平和」だ。自衛隊を国軍にして武力を強化し、米国の軍事行動を武力で支援し、日本にとって不都合な国があれば軍隊の力で従わせようというのだ。平和のために戦争を起こすというのは、本末転倒ではないか。大陸侵略をもたらした戦前の軍部の考え方そのものだ。

どこの国も、最初から戦争を起こしたいとは言わない。「世界の平和のために悪を罰する」とか「国益が損なわれそうだから守らなければならない」などと言って、侵略の口実にしてきた。

他の国との問題を抱えるとき、最初から武力に頼ろうとするのは「暴力国家」である。今は帝国主義の時代ではない。戦争の惨禍を経て二度と戦争をしないと誓い、民主主義を学び実践して平和を築いてきた21世紀の日本が、なぜ野蛮な時代に後戻りしなければならないのか。

それに、安倍首相が武力で他の人々を従わせることができると思っているなら大間違いだ。世界の他のすべての国を合わせた以上の大規模な軍事力を持つ米国だが、アジアの小さな国ベトナムには負けてしまった。さらにテロという形で攻撃された。そこでイラクを侵略したが、イラクではいまだにテロが続いている。抑圧された人々がただ黙って侵略者に従うわけがない。

安倍首相がこの構想を打ち上げたのは訪問先のアメリカだった。名高い保守系のシンクタンクであるハドソン研究所でスピーチしたさい、使った英語の言葉は「プロアクティブ コントリビューター トゥー ピース」だ。これを日本政府は「積極的平和主義」と訳した。

だが、プロアクティブという単語は、先制攻撃のさいに使われる軍事用語だ。「やられる前にやれ」という発想から生まれた言葉である。少なくとも聞いている米国側は軍事と関連して受け取っている。平和を語るときに使うべき用語ではない。それを知らないで使ったとしたら、政治家として無知だというそしりを免れない。

米国と北欧で発達した「平和学」という学問の分野がある。そこですてに「積極的平和」という定まった学問用語がある。その意味は安倍首相の言う内容とはまったく違う。

単に戦争がない状態、つまり今の日本のような状況を「消極的平和」と呼び、これに安住せず、さらに貧困や社会的な格差、搾取や差別など、争いを招く要素をなくした状態を「積極的平和」と呼ぶのだ。英語で言えばポジティブ・ピースだ。

争いは社会的な不正義から起き、それが国家規模で拡大したときに戦争が勃発する。平和を維持するためには、平和を創りださなければならない。そのためには争いとなる要素をなくさなければならない。目指すのは絶対平和だ。

安倍首相は、逆に戦争を創り出そうとしている。日本が自衛隊を国軍化して軍事予算を増やせば、中国や北朝鮮はそれを理由に軍事力をさらに増やすだろう。それを理由に日本の軍事予算は年々、増すだろう。こんな軍拡競争をして何になるのか。

今でさえ乏しい福祉や教育、医療費は、弾薬や平気の費用にとられてしまう。予算を増やさないとやっていけないという理由で消費税をさらに上げることになり、国民は生活できなくなる。安倍首相が言うのは「積極的戦争」だ。それを「積極的平和」と呼ぶのは、国民をだます詐欺行為である。

「消極的平和」の状態にある今の日本に必要なのは、本来の「積極的平和」だ。放って置けば、争いの火種はいくらでもある。若者は就職できず、就職できても非正規労働者になるかブラック企業に勤めて心身ともに病む。高齢者の年金は削られ生きていけない。戦場では管理が厳しくなって息が詰まる。改革するのは、まずそこだ。

かつて疲弊した社会に登場したのがヒトラーだった。民族主義を掲げてユダヤ人という敵を作りだし、喝采を浴びて政権を握り、その結果、ドイツを瓦礫の山にした。同じ道を歩んだのが戦前の日本だ。今の日本を見れば、戦前に人々が軍部の支配に陥った経過をそのままなぞっているような気さえする。

ドイツは歴史をしっかりと反省した。終戦記念日を「民主主義の日」とし、民主国家として生まれ変わった。何も変わらないのが日本だ。戦犯がそのまま首相となり、戦犯の孫が戦犯と同じ主張を今の世に甦らせて英雄気取りで持ち出したのが「積極的平和主義」である。

放って置けば、本当の戦前の日本のような状況に変わっていくだろう。今の「消極的平和」さえなくしてしまう。今、求められるのは、市民の側が、「積極的平和」を創り出すことだ。私たちも一人ひとりが政治家にならなければならない。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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