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“ 被害者の立場こそ原点だ ” 「慰安婦」問題と報道の危機

「あけぼの」2014年11月号) 伊藤千尋


フィリピンを取材で訪れた昨年、ホテルでテレビをつけると戦時中を舞台にしたドラマを放映していた。日本軍の若い将校とフィリピン人の少年の友情をテーマとしたものだ。

日本が支配した地区を巡回した将校がたまたま知り合った少年と友だち関係になった。ところが、日本軍はフィリピン女性を駆り集めて「慰安婦」とした。兵舎は日本兵がフィリピン女性を犯す「慰安所」と化した。

駆り集められた女性の中に少年の姉もいた。それを知った将校は野獣のようになった兵士たちから彼女を救い出すが、少年の怒りは収まらない。やがて終戦となって日本兵が捕虜としてトラックで連行される際、少年と将校は手を振って友情を再確認する、という筋だ。

日本兵に扮したフィリピンの役者が口にするのは、ほとんど「バカヤロ」だけだった。この一言が戦時中にフィリピン人たちに向けられた、耳に残る唯一の日本語となったのだ。恥ずかしい思いがした。同時に、被害者のフィリピン側が日本をかなり好意的な目で見ていることを知り、面はゆい気持ちになった。

それ以上に心に重く残ったのは、「慰安婦」が大きな問題になってきた韓国だけでなく、フィリピンでも周知の事実として存在することだ。

いま、朝日新聞が過去の「慰安婦」報道の一部が誤報だったことを認めたことで、「慰安婦」そのものがまったくなかったとか、女性たちはカネのために自発的に「慰安婦」になったなどという論調が広まっている。

とんでもない。

朝日新聞が認めたのは「慰安婦」をめぐる初期の記事で証言した人の言葉の裏付けが得られず、その証言に限っては虚偽と判断したという点だ。「慰安婦」の存在まで否定してはいけない。

ところが、右派系の新聞はこれをもって強制連行はなく「慰安婦」そのものも存在しなかったというイメージをふりまいている。これを機に朝日新聞から購読紙を替えるようにと、販売促進員が回っている。自社の利益のために歴史を捻(ね)じ曲げようとする行為だ。

かつて米国の新聞が販売促進のために、スペインの植民地だったキューバをめぐって虚偽と扇動の報道をし、米国がスペインと戦争をすることになった。このときイエロー・ジャーナリズムという言葉が生まれたが、今まさにそんな状況だ。日本でも戦前、新聞がひたすら国民を戦争に煽り(あお)立てたが、今またその愚を繰り返すのか。

同じようなことが南京大虐殺でも言える。30万人が殺されたという中国側の主張に対して、そんなにたくさんの人数がいたはずがないとして、虐殺自体が幻だと否定する動きだ。日本は素晴らしいと考えるあまり、日本人が悪いことをするはずがないと決めつける。

これって本当に愛国心と言えるだろうか。大切なのは過去の悪は悪と素直に認め、そこから学ぶことだ。それこそ人間のすべきことであり、日本人が本来、美徳としてきたことではないか。

いったん戦争になればどの国民であろうと軍は暴走し、人間は野獣と化す。別に日本人に限ったことではない。米軍は日本全土に焼夷弾を降らせ、戦闘をしていない市民を虐殺した。人間が自ら人間であり続けたいなら、戦争をしてはならない。

同じ時期に朝日新聞は原発をめぐる「吉田調書」の報道でも愚を犯した。隠されていた文書を発掘したまではいいが、書かれた内容を確かめることもなく過剰な見出しで報じたのだ。まるで週刊誌のようだった。もちろん許されることではない。だが、口を極めて非難する週刊紙が日ごろやっていることほど、ひどい過ちではない。

朝日新聞の決定的な過ちは、池上氏の批判の掲載を拒否したことだ。これには社内からも批判が続出した。反対意見を封じる行為は言論機関として失格である。それを命じた取締役は解任された。私は、社長も辞任を表明すべきだと思ている。

40年にわたる私の朝日新聞記者としての最後の3日は、この騒動で明け暮れた。社内にいて心強かったのは、社内民主主義だ。その3日間、各部ごとに毎日、全員集会が開かれた。首脳部の会議で話し合われたことが部長によって部員に伝わり、率直な意見が飛び交い、それが部長によって首脳部が伝わった。この事件によって朝日新聞は鍛えられた、と私は思う。

報道の自由は民主主義において欠かせない権利だ。権力は絶えず、それを犯そうとする。戦前の新聞を見ると、ぎりぎりまで軍部に抵抗している。軍部は新聞を検閲し、軍に抵抗する記者を徴兵して激戦地に追いやった。権力に迎合した報道機関と世間の圧力が報道を殺した。

様々なことを判断するときに何が大切か。それは一人ひとりの人権だ。最もひどい目に遭った人の立場に立つことだ。「慰安婦」にさせられたのが自分の母親や姉だったらどうか。フィリピンの少年の身になって「慰安婦」問題は考えられるべきだ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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