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活憲とヒューマンライツ(人権)

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人種差別と思想差別 アメリカと日本の差

「あけぼの」2015年 2月号) 伊藤千尋


アメリカで白人警官が黒人を殺害する事件が相次ぎ、いずれも大陪審が警官を不起訴とした。これは人種差別だと見て全米各地で抗議行動が広がっている。一方、日本では思想差別が頭をもたげている。差別と闘う政府や社会の姿勢に、アメリカと日本では大きな差がある。

アメリカの騒ぎの発端はミズーリ州だ。18歳の黒人少年が口論した警官に射殺された。目撃者14人のうち12人が「少年は手を挙げていた」と証言したが、「少年が襲ってきた」という警官の主張が採用された。

ニューヨークでは無許可でタバコを売った黒人男性が警官に首を絞められて死んだ。警官は「黒人が抵抗した」と説明したが、まったく無抵抗だったことが通行人の携帯電話で撮影された映像により確認された。

大陪審の決定が出たのは2014年11月と12月だ。司法による黒人差別だと見て、全米各地で抗議行動が起きた。

米国で人種差別を禁じた公民権法が成立したのは、事件からちょうど50年前の1964年だ。半世紀もたつのに差別が解消されない。ひどい国だが、差別には政府としてきちんと対処した。

公民権法が成立する7年前、アーカンソー州の州都リトルロックの名門高校に黒人10人が通おうとした。白人たちは彼らに「アフリカに帰れ」など罵声を浴びせた。州知事は州兵を動員し銃剣で黒人の登校を阻止した。恐怖のあまり黒人の一人は高校に通うのをやめた。

このとき差別撤廃の行動を起こしたのが当時のアイゼンハワー大統領だ。州兵を連邦軍の指揮下に置き、州兵に対する州知事の権限を奪った。連邦軍1,200人を動員し、2か月にわたって黒人の登下校を助けた。その後も州兵に守らせた。

黒人生徒は教室で白人生徒に小突かれ殴られるなどの暴力を受けた。自宅を銃撃された女生徒もいる。教師も大半が人権差別主義者で、白人生徒の暴行を見過ごした。それでも黒人たちは耐えた。

入学したとき彼らは14歳から16歳で、うち6人が女子生徒である。登校拒否や精神的に不安定になるのが普通だろう。しかし、彼らは差別にめげず3年間を気丈に闘い抜いた。

それを応援したのが大統領と連邦政府だった。軍隊を長期にわたって動員するには多額の費用がかかった。しかし、出費の多さよりも差別をなくすという大義を選んだのだ。

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今、日本では安倍政権のもと、思想差別が進んでいる。的になっているのが朝日新聞バッシングのもとになる従軍慰安婦の記事を書いた元記者の植村氏だ。

彼は朝日新聞を退職後、北海道の北星学園大学の非常勤講師となった。彼をやめさせなれけば爆弾を仕掛けるという脅迫状が大学に届いた。植村氏の子の顔がネットにさらされ、家族まで嫌がらせを受けている。

大学が外からの脅迫に屈すれば、学問や思想の自由など保障した憲法の文面は空論となる。戦前、思想が政府にそぐわないと大学教授が辞職に追い込まれた滝川事件を思い出す。

北星学園は毅然として脅迫をはねつけた。しかし、脅迫に対応するため警備費用の負担が多すぎるなどを理由に、いったんは植村氏の雇用を考え直す姿勢を示した。この場合、米国なら思想の自由を守るために政府の責任で警備するか、警備の費用を政府が持つだろう。

滝川事件のさい、大学教授を弾圧したのは当時の鳩山一郎文相だった。今、同じ役割を安倍首相が行う。アイゼンハワー大統領の姿勢とは大きな違いだ。

そのアメリカでも思想の自由に対する弾圧はあった。マッカーシズムだ。そこで活躍したのはテレビ・キャスターのエド・マローだ。恐怖のため理性を失ってはいけないと主張し、狂信的な「赤狩り」をやめさせた。

かつてドイツでは、ヒトラーが反対派を次々に迫害の標的とし、ついに独裁政権を握った。「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という名高い詩がある。迫害の対象が自分には関係ないからと見過ごしていたら、やがて自分が迫害の対象になったとき、だれも助けてくれなかったという内容だ。

社会がおかしな動きに向かうなら、初期の段階で止めなければならない。政府が何もしないなら、社会正義の実現のために、黒人生徒やマローのような勇気を一人一人が持つべきだ。年末の突然の総選挙では有権者の半数が棄権したが、無気力は権力者をのさばらせる。

社会正義といえば、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を思い出す。1987年、軍事独裁下の南米チリを訪れたさい、教皇は若者に対して「あなたがたの責任を果たしなさい。社会を変革し、より人道的なチリを建設しなさい。より正しき社会の主役であれ」と熱く語りかけた。これに応えた人々は、翌年の国民投票で民主化を勝ち取った。

今の日本の人道的な社会をつくるために必要なのは、一人一人が「より正しき社会の主格である」ことだ。


著者紹介:
伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞ロサンゼルス支局長、月刊誌「論座」編集委員を経て、現在「be」編集委員。著書に『活憲の時代─コスタリカから9条へ』ほか多数がある。

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