homeキリシタンゆかりの地をたずねてゆかりの地一覧 > 一条戻り橋(耳削ぎの場)

キリシタンゆかりの地をたずねて

京都府 京都市

ゆかりの地

物語

一条戻り橋(耳削ぎの場)

1597(慶長2)年、秀吉の命によって捕らえられた宣教師とキリシタンたちは、縛られたまま牢から引き出され、徒歩でこの一条戻り橋まで連れてこられ、耳を刃物で削ぎ落とされました。
 秀吉は両耳と鼻を落とすようにと命令しました。しかし、キリシタンに理解があった奉行・石田三成の取りなしによって、片耳だけにとどめられといわれます。

 執行人は、切り取った耳たぶを地面に捨てましたが、ヴィクトル野田源助がそれを拾い上げ、オルガンティーノ神父に持っていきました。

 耳を切り落とした後、役人は、当時の習慣に従い罪人を辱めるために、24人を牛車に乗せて町中を引き回しました。

一条戻り橋 戻り橋の説明書き

「戻り橋」の名の由来は、京都市の説明書きに下記のように書かれていました。

 延喜一八(九一八)年、文章博士・三善清行(みよし きよつち)が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
 浄蔵は柩(ひつぎ)にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交わしたという伝説から戻橋と名付けたという。

 太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱(わたなべ つな)が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという伝説もあるところである。
京都市

  • 住所:京都府京都市上京区堀川下之町
  • アクセス:JR京都駅から市バス9系統「一条戻橋・晴明神社前」下車で約30分 徒歩すぐ

●関連記事:



▲ページのトップへ