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絵手紙でコミュニケーション、Sr.宮本サタ子が天国へ

2016.06.20


Sr.宮本

平塚修道院で、6月1日の午前1時ごろ、Sr.マリア・ベアトリーチェ宮本サタ子が亡くなりました。89歳でした。前日まで、共同体で姉妹たちと一緒に生活し、お部屋の掃除もしていました。突然の死でした。

Sr.宮本は、1927年3月24日、熊本で生まれました。1951年12月に大阪修道院に入会しました。大阪修道院は、少し前の8月に開設したばかりで、最初の3人の姉妹は家庭宣教の使徒職を始めようとしていましたが、修道院が狭く、最初の5人の入会者を迎える場所がなかったので、彼女たちは養成のために東京に送られました。この5人の中に、Sr.宮本もいました。

東京へ行ったSr.宮本は、カトリックのラジオ局で働きました。養成期間を過ごした後、1955年6月30日に初誓願を宣立しました。その後、名古屋修道院で家庭宣教に携わり、1957年には仙台修道院の創設のために働きました。1960年に終生誓願を宣立し、再び大阪に戻り、家庭宣教と団体宣教の大きな働きを続けました。

東京で書院の働いた後、パキスタンのラホールに派遣され、2年間宣教をしました。1970年にはイタリアに派遣され、ラジオバチカンの日本語放送のために働きました。日本に帰国してからは、大阪、名古屋修道院で働きました。

体力の減退を感じ、1999年に平塚修道院に異動しました。2010年には、脳梗塞を起こし左半身麻痺になりましたが、集中的なリハビリによって回復されました。平塚では、絵手紙を始め、多くの人々に送りコミュニケーションを取りました。近年はちぎり絵を始め、広告の紙から色を取り、見事な作品を作っていました。

修道会の創立100周年を迎えた昨年、Sr.宮本は誓願宣立60年を迎えました。誓願宣立記念日にあたって、管区長に次のように書いています。「創立100周年に、この恵みをいただけましたことにも感無量の思いでございます。この長い60年、取るに足りない者ですのに、主はいつくしみを注ぎ、また、姉妹方に支えられてここまでこられましたこと、主に弱さも貧しさもひっくるめて担いでいただいた召命の恵みに心から感謝いたします。これからの使徒的生活、奉献生活を最後まで全うさせていただけますように願っています」。

Sr.宮本は、修道生活全体にわたって、「恐れることはない。わたしがあなたとともにいる」という、師イエスの招きに伴われていることに信頼していました。

左半身麻痺やリハビリをするという身体の厳しい状態の中でも、絵手紙やちぎり絵をして、人々とのコミュニケーションを取っていたSr.宮本が、信頼していた御父の元で、安らかに過ごされますように。

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通夜 司式する山内神父(右)とイエズス会の山中神父 通夜に集まってくださったパウロ家族

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葬儀ミサ 司式は山内神父(左)と吉田神父 献香

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献花する司祭 献花にならぶシスターたち

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2007年に誓願宣立50周年を迎えた
仲間のシスターたちと 後列右から5人目
誓願宣立50周年 乾杯するSr.宮本



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