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新世紀ルーツへの巡礼

目次

プロローグ

決定的な夜(1)

アルバのカテドラル内部
アルバのカテドラル内部……

1900年12月31日から1901年1月1日にかけての夜、当時の教皇であったレオ13世は、徹夜の聖体礼拝で新しい世紀を迎えるようにと、全世界の教会に呼びかけていました。

北イタリアにあるアルバ教区でも、カテドラルでの真夜中の荘厳ミサに続いて、聖体が顕示され、聖体礼拝が行われました。哲学科と神学科の神学生は、自由にカテドラルにとどまって祈りを捧げていました。その中に少年ヤコブ・アルべリオーネの姿もありました。彼は4時間という長時間を聖体の前で過ごしたのでした。ここでアルべリオーネは忘れることの出来ない夜、特別の夜を体験したのです。彼は、その夜のことを「決定的な夜」と呼んでいます。

パウロ家族の創立者ヤコブ・アルべリオーネ神父は、1884年の4月4日に、貧しい農家の家庭に生まれました。少年アルべリオーネは、司祭になりたいとの志をもって、1896年にトリノ教区(北イタリア)の神学校に入学しましたが、4年後には神学校を退学してしまいました。何がその原因だったのか、詳しいことはわかっていません。アルベリオーネ神父は、ずっと後になってからこのことに触れてこう書き残しています。
「ある種の本が及ぼす悪を私は知っている……私を救ってくださったのは聖母だった」と。

仲間のだれかが教室の机の下から回した何冊かの本が、危機の元になるという影響を彼に及ぼしたのです。あの「決定的な夜」を体験することになるわずか8カ月前に、アルべリオーネは召命の歩みにおいて大きな挫折(ざせつ)を味わい、失意のうちに家に戻らざるをえなかったのです。


カノニコ・キエザ神父
   カノニコ・キエザ神父

●同じ年の10月には再び神学校に戻りますが、彼が戻るのは、同じ北イタリアであってもアルバ教区の神学校でした。一つの教区の神学校を退学して間もない人が、別の教区の神学校に入学するのは容易なことではありません。しかしそこで、彼は、生涯の指導者、彼の天職の理解者・カノニコ・キエザ神父と出会うことになりました。

●その時代のことを回想して、アルベリオーネ神父はこう描写しています。
「思想を他に伝達するための新手段が、すでに顔をのぞかせはじめていた。印刷は、次第に強力になっていく組織によって力を示し、映画は最初こそ不信の目をもって見られたが、やがてますます広い階層を獲得していった……ラジオとテレビも、ほとんど生まれながら大人の姿で世に現れようとしていた」
「そこで、バチカンからは矢つぎ早やに種々の指針が出され、カトリック信徒に、新しい使命の水準まで自らを高めるようにと呼びかけていた。一方には、無関心、無思慮の多くの人々、他方には、ローマ教皇の指針に従って働く思慮あるカトリック信徒と司祭たちがあった。」と。

そんな空気の中で、歴史は19世紀を閉じようとしていました。


彼は、一度は挫折したかに見えた神学生の歩みをアルバの神学校で、前とはうって変わった足取りで歩みはじめて、2カ月を経ていました。再び神学生となつたアルべリオーネは、その年の終わりに「決定的な夜」を体験したのでした。
「前世紀と今世紀の境をわける夜」は、少年がその生涯の使命として神から創立を託される「パウロ家族の固有の使命と独特の霊性にとって、決定的な夜であった」と53年後に彼はふり返って書いています。

19 世紀と20世紀をわかつ夜、カトリック教会は、その存在と活動のいっさいの源泉であるミサ、イエス・キリストの十字架上のいけにえの死と復活の神秘的再現であるミサをもって、生まれ出る20世紀を迎えようとしていました。キリストの救いの業のただ中に新しい世紀・新しい人類が歩み出すためです。

わたしたちが間もなく過ぎ越そうとしているこの20世紀は、当時16歳の少年ヤコブ・アルべリオーネの目の前には、コミュニケーション時代としてその明るい兆しを、見せはじめていました。

北イタリアのひっそりと静まり返ったアルバの町の司教座聖堂では、荘厳ミサに引き続き、夜を徹しての礼拝が行われ、少年アルベリオーネはあの「決定的な夜」を過ごしたのです。


彼は、回想してこうつづっています。 「翌朝10時ごろ、彼(アルベリオーネ少年)の表情にはその内面のいくばくかが、おのずと外ににじみ出ていたのだろう。ひとりの神学生(後の司教座参事会員ジョルダーノ)は、彼と出会って驚きを表した」と。

彼自身が書き残したこの一文は、シナイ山で神と対面したモーセの顔が光っていて、イスラエルの人々が恐れたので、モーセは顔に覆いをかけた(出エジプト 34章30節 参照)という聖書の出来事を思わせます。

この体験は一言では説明できないものですが、アルべリオーネ神父自身がつづったものからこの夜の彼の体験を追っていくことにしましょう。

祈っているとき、アルベリオーネ神父は、「聖体から一条の特別な光」を受けます。
「聖体から一条の特別な光、すなわち《みなわたしのところに来なさい》とのイエスの招きを、今までより深く理解する恵みがくだった。」 彼には「教会の招きが、司祭のまことの使命が理解できたような気がした。」
「主のために、そしてまた、自分が生活をともにするはずの新世紀の人々のために、何事かを果たすように準備する義務を負っているということを、ひしひしと感じ」ました。

それは、少年アルベリオーネにとって、神が自分に望んでおられる使命を、恵みのうちに自覚した瞬間でした。

同時に、彼は、この使命を果たしていくために、「比較的明確に自分が無に過ぎないことを自覚し、同時に、聖体のうちに《世紀の終わりまで、日々わたしはおまえたちとともにいる》(マタイ 28章20節)と言われる主を感じ、ホスチアであるイエスのうちに光、糧、慰め、悪への勝利を得られるのだということを実感した」のでした。

彼はまた、この使命を一人で果たすのではなく、他の人々と力を合わせ、一致しながら果たしていかなければならないということも理解しました。

まさに、この日に彼は新しい手段を使って、教会と新世紀の人々に奉仕し、志を一つにして、他の人々ともに働くよう神から招かれていることを痛切に感じ取ったのです。

この体験は、何よりもまず神からの恵みであると少年アルベリオーネは実感していました。しかし同時に、この体験は少年アルべリオーネの神の声に対する敏感さをとおして与えられたものでもありました。この夜の体験は、神からの無償の恵みでしたが、それを神からの呼びかけと受けとめ、「決定的な夜」と感じ取ることができたのは、彼の心が霊の導きに対して敏感に開かれていたからです。
「前世紀と今世紀の境をわける夜は、パウロ家族がそのうちにこそ生まれ生活していくことになる固有の使命と霊性にとって、決定的な夜であった。」

◆1--- プロローグ


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