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新世紀ルーツへの巡礼

目次

青年時代(1)

ブラの神学校での勉学を、中断させることを余儀なくされたヤコブは、アルバでの新たな一歩を踏み出しました。
 今回のルーツへの巡礼では、アルベリオーネ神父の青年時代を、ご紹介します。
青年時代は、いろいろなことがあります。
 あなたも、そんな自分の歴史の中で、受け入れにくい出来事をとおして祈ってみませんか。

ブラの神学校からアルバへ

アルバの神学校聖堂

アルバの神学校へ行ったヤコブは、指導者にも恵まれ、1907年6月29日、アルバのフランチェスコ・レ司教によって司祭に叙階されました。その間、勉学の努力、社会の諸問題への取り組みと彼の歩みは続けられ、彼が将来担うべく使命のための基礎、土台が用意されていきました。

1) アルバの神学校

アルバの神学校は、古い神学校の一つで、聖カロロ・ボロメオの時代にさかのぼります。

当時、アルバの神学校は熱気にあふれていました。アルバの指導者、フランチェスコ・レ司教は、非常にすぐれた頭脳、教区を牧する魂、そして父親の心を兼備えていた人でした。彼の話は人の心に確信を与え、人を魅了させるものでした。

この優れた司教とともに、アルバの神学校で、ヤコブは理想的な霊的指導者、神のしもべ フランチェスコ・キエザ神父と出会うことになります。

キエザ神父は、彼の最初の歩みを導き、彼を霊的に育て、彼が着手する事業が神からのみ旨であるという確信を与えた人です。

当時、キエザ神父は神学校で教理神学、倫理神学、哲学の教授として教鞭をとり、1913年からは、「聖コスマとダミアノ教会」の主任司祭をしていました。

アルバの神学校レ司教
                アルバの神学校とレ司教

2) アルバ大神学校での生活

16歳のヤコブは、アルバ神学校で哲学の勉強をはじめました。同級生は17人でした。

ヤコブにとって、アルバの神学校の新しい環境になじむことは、たやすいわけではありませんでした。ブラとはずいぶん違っていたからです。しかし、ヤコブはアルバの新しい習慣を学び、規律を守り、勉強や信心に熱心でした。

新しい環境になじむ難しさの他に、彼は父親が病気で働けなくなったこともあり、一時帰省を余儀なくされました。


通常、神学校では、神学を学ぶ前に、哲学を学びます。
 哲学では、人生の目的は何か、人間はどう生きていくべきなのか、人間のしあわせとは何か、苦しみや死の意味は何なのか……など、人生や世界の基本原理を考察していきます。まず、物事を筋道立てて考える哲学を土台に据えることによって、神学の勉強へと進んでいきます。哲学を土台にして学んだ人生への問いかけをヤコブは、あとあとまでも大切にしていたことが、彼が後年につづったものから伺いしれます。

哲学を学んだあと、アルバの神学校では、教理神学、聖書学のコースが4年、倫理神学のコースが2年あり、この倫理神学のコース1年時に司祭に叙階されます。

補助教科としてグレゴリオ音楽、典礼学、教会法、芸術、司牧神学、ヘブライ語、ギリシャ語、教父学なども学びます。

ヤコブは、歴史書の読書に非常に多くの時間を費やしています。
 彼は、こう書き記しています。学生時代、「5年間というもの、日毎に2回ロールバッヘルの世界教会史を一段落ずつ読み、ヘルゲンルテルのものも5年間で、また自由時間を利用して8年間かけてカントウの世界史を読了し、さらに世界文学史、芸術史、戦争史、航海史、特別に音楽史、法律史、宗教史、哲学史にも手を伸ばした」と。

当時、ヤコブは、神学校図書室の司書をしていました。図書室には、古書に比べて、新刊書が少なかったため、「金銭を工面して多くの新刊書を購入することに成功し、当時の最良の雑誌、百科事典、カトリック関係の学問の辞書類のすべてをそろえるにいたった。」と彼は書き記しています。

これらの読書を通じて、ヤコブは、世界史に関する長い省察、歴史の中での人間観、つまり人間と歴史を見るダイナミックな目を養っていたといえます。彼はこう言っています。

  • 人生ははじめから終わりまで永遠の旅です。1日はその旅の一区切りです。
  • 学ぶのは人生のため、人生は永遠のため、いっさいは神のためです。
  • 若者たちよ、歴史全体を踏まえ、福音の光と哲学の研究とをもって、頭をあげて見なさい。何千年という歳月の間にときの充満が準備されていくのです。イエス・キリストが歴史の最大の人物として、いや、歴史の神として登場なさいます。そして、いまは、すでにはじめられたことを聖霊によって果たし続けておられます。歴史は、私たちの生命と同様に、永遠において開花します。
    オリエントの歴史、ギリシアの歴史、ローマの歴史、中世と近世の歴史、世界史と宇宙史はみな、創造し支配なさる御父と、照らし救う御子と、生かし聖化なさる聖霊の果てしないみわざです。……歴史を学んで、行われたことと誤りから学ぶことです。

アルバの神学校では、伝統の中に、神学生が学んだ学問と実践を一つにさせるようにと、休みの日には教会の少年たちに公教要理(教会の教え)を教える習慣がありました。ヤコブは、司教座聖堂教会と、聖コスマとダミアノ教会で6年間教理を教えていました。これは彼にとって、学問と実践を一つとする体験となり、また同時に、教会の司祭を助けるという貴重な経験にもなりました。

ここで、聖書が信徒たちからわずかしか読まれていないことや、聖書に触れることを畏(おそ)れ多いと感じている多くの人々がいることを知り、心を痛めていました。そしてこの体験からやがて「家庭に聖書の普及を」の意向で、はじめての「福音の日」が企画されました。彼は、聖書を出来るだけ広範に普及するために、自分の自由時間を使っていたのでした。

学生時代のヤコブは、精神力と指導力にすぐれ、信心も深く、先生たちからも尊敬されていました。そして、神学生の間では、リーダーシップをとっていました。

学生時代のヤコブを知っているすべての人は皆、彼の並はずれた才知、あるいは記憶力の賜物(たまもの)について証言しています。

教義神学のベルノッコ教授が重い病気になった時、若いヤコブは、学年末までベルノッコ教授の代講をしました。この措置は、神学生たちに広く受けいれられました。「神学生アルベリオーネが私たちにしてくれた授業は、故ベルノッコ教授の教え方よりも明瞭で深かった」と言われています。

神学校では、説教、黙想のほかに、霊的読書や聖人伝の朗読などが盛んに行われていました。ヤコブは、聖フランシスコ・サレジオ、聖アルフォンソ・デ・リゴリ、聖ヨハネ・ボスコと聖コットレンゴなどを読み、これらの聖人から影響をうけていたことが分かります。

ヤコブは、キエザ神父から非常に多くの影響を受けたわけですが、彼の生涯に影響を及ぼしたものは、次のことでしょう。

  *諸科学総合の探求
    「諸科学を一つの哲学において統合すること」をキエザ師と語り合ったと、彼は書いています。
  *すべてを祈りに変容させること:
    「キエザ師からは、聖師のみもとで礼拝し、感謝し、御ゆるしを求め、嘆願するために、すべてを黙想と祈りの対象に変えていくことを学んだ。」と手記の中につづられています。

  

ヤコブがアルバの神学校に入学したのは1900年秋なので、それから数カ月しかたたないときに、あの「決定的な夜」を迎えることになります。

◆1--2 青年時代


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