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新世紀ルーツへの巡礼

目次

神との契約

成功のための秘訣

使徒パウロ
使徒パウロ

アルベリオーネ神父にとって、使命を果たしていくため、そしてその実りのための第一の秘訣は、「聖人であること」でした。「私は、会員の中に聖人がたくさんいるようにと、それだけを望んでいる」と彼は言っていました。

1919年1月、聖パウロの回心の祝日に彼が言った言葉を、ジャッカルド神父が彼の日記に残してくれています。

ジャッカルド神父の1919年1月26日の日記から

昨日、私たちの保護者使徒聖パウロの回心の祝日を祝い、月の静修をしました。

この日は、本会にとって最も重要な日として記さねばならないでしょう。つまり、神へのより大きな信頼をいだく生活の回心、特に私たちに必要な聖性を獲得するための回心の日だからです。愛する父は私たちの黙想を指導し、このテーマを扱うときにはいつもそうなさることなのですが、情熱と霊に導かれてこう語られました。

聖性の道では1の進歩も、5の進歩も、さらには10の進歩もできます。自転車で1回足を動かせば1メートルでも10メートルでも走れるのと同じです。

私は、みなに勉強時間を増やす方法を教えたことがあります。今度は聖性の道での進歩の度合いを増やすことを学ばなければなりません。

努力をするとともに、頭のなかで『かけ算』をしなければいけません。実りを見ることです。1回の良心の糾明で、10回分の成果をあげること。また、同じように、1回の聖体拝領で、10回聖体拝領をしたほどに、聖性の道に進歩しなければならないのです。

私の言うことに注意してください。耳をよく開けて、心のなかで眠ることなく、目を覚ましていなさい。一つひとつの努力で、10倍進歩しなければなりません。

なぜでしょうか?
 主があなた方を、きわめて高い聖性に召しておられるからです。そこには、自分の力や普通の恵みだけでは到達できないからです。あなた方は修道院の中だけで生活している司祭や修道士を、はるかにしのぐものでなければなりません。……

神学の先生は気がふれたのでしょうか! いや、そうではないのです。アルベリオーネ神父個人として話すときは、狂気のこともあるでしょう。しかし、いま話しているようにあなた方の父として話しているときは、よく言っておきますが、狂気ではありません。あなた方は世の司祭や修道士よりも、聖なるものでなければなりません。……神があなた方の中に値をつけられないほどの宝、天使たちもねたむほどの宝、すなわちよい出版のための召命をおかれたからです。

あなた方は、大きな山のふもとに立っています。登って行きなさい。あなた方に与えられた地平線を見なさい。それは全世界です。

ボールがすべすべしてまん丸なら、滑らかになった大理石の上に置けば、ただ1点しか大理石には触れません。ボール全体はこの1点に支えられています。あなた方の良心には百万、3百万、1千万の魂がかかっています。……だからこそ、大いに聖なるもの、世の司祭たちよりもはるかに聖なるものでなければならないのです。

多くの人びとを救うこと、1千万人を救うか百万人だけを救うかがかかっています。神学の先生は、今夜1千万人だなんて言いだして、変なのでしょうか。いいえ、言っておきますが、よい新聞記者なら、もっと多くの人を救えるのです。

大きな木

目をあげて、こずえが見えないような大きな木を見上げなさい。これが私たちの家です。ほんとうに大木(イタリア語で“アルベローネ”)だ。ところで、あなた方は根っこのところです。現在のこの家は、この大木の根っこだけです。

もし、自分たちのうちにある宝をわかっていたら、主がどこに呼んでおられるかを知っていたら、みな生き生きと生気にあふれて、私を放ってはおかず、いつも主の周りに来て、『私はこれがまだ必要です。あれも必要です。この恵みもお願いします』と言い続けることでしょう。

神学の先生は、私たちに今夜は何を言いたいのだろうかと思うかもしれません。私はあなた方を、完徳の山に連れていきたいのです。どれほど聖人でなければいけないかわかっているでしょうか?

神学の先生は、私たちに今夜は何を言いたいのだろうかと思うかもしれません。私はあなた方を、完徳の山に連れていきたいのです。どれほど聖人でなければいけないかわかっているでしょうか?

聖パウロの精神を持たなければなりません。神が聖であるように、あなた方も聖でなければいけないのです。その必要があります。ですから、一つひとつの努力で10倍を得る必要があります。1日で10日分進歩し、10年で100年分ぐらい聖人になるのです。

それではどうすればよいのでしょうか?
 この増幅器はどこにあるのでしょうか?
 私たちは欠点だらけ、みじめさでいっぱいです。自分を低く置き、みじめさだらけであることを自覚することが必要です

自分の魂を1度でも見ることができたら、気絶するでしょう。福者(現在は聖女)マルガリタ・アラコクは、セラフィン(天使の名称で“燃えているもの”の意)のような人になって、み心のイエスのたび重なる出現を受けるようになってから、神が彼女にその魂を見せたとき、彼女は気を失ってしまいました!

私たちは、低くへりくだりましょう。自分では進歩できないのですから。そして、聖人、しかも大聖人になろうという力強い、きっぱりとした、寛大なよい意志が必要です。前にも話したように、神が私たちを予定しておられるような聖人になることです。どんな努力も、どんな犠牲もやり遂げる、誰にもひけをとらない意志。これが第1の手段です。

第2の手段は、自分を過信しないこと。自分の力を頼りにせず、いっさいの信頼を神にかけ、そして祈ること。

神は、欠点から私たちを解放することができることを信じる必要があります。神は、私たちが大聖人になることを望んでおられることを信じる必要があります。

あなた方の一つひとつの努力が10倍の実を結び、神は、あなた方の一つひとつの祈りのうちに、10倍の祈りで下さる恵みを、あなた方に下さることを信じる必要があります。
 このことは本当です。神が望んでおられることです。信じなさい。

信じる人は、聖性の道、完徳の山を走っていきます。自分の努力だけに頼っていく人は、ゆっくり、やっとの思いで歩き、一歩歩いてはつまずき、ひとつ勝利をおさめては倒れ、立ち上がっては倒れ、苦労に苦労して前進します。

もっと神を頼りにする必要があります。健康のためにも。仕事のためにも、早く上手になり、神の栄光のためだけに上達できるように、神を頼りにする必要があります。

私たちは自分の聖化について、もっと信仰を持つ必要があります。
 この信仰から、私たちはまだ遠いのです。あなた方の誰も、持つべき真の信仰をまだ持っていません。つまり、山を動かすほどの信仰です。

神は……あなた方を、高い高い信仰に招いておられます。しかし、神はご自分でなさりたい、ご自分の腕でお働きになりたいのです。この私たちの家は、神の摂理で生きているのですから。

イエスは言われました。「 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」(ヨハネ 14.12-13)イエスは、彼の功徳のゆえに願うなら、何でも父は下さるということを2度も誓っておられます。

さて、神は私たちに聖性を与えたいと思っておられます。私たちが、それを願うことを望んでおられます。私たちは聖櫃(せいひつ)の前に行き、イエスの前に行って、誓いを破らないでくださいとお願いし、それを下さるように申し上げましょう。

祈り、さらに祈ること。……

この信仰を受け入れるなら、今から1年のうちにすっかり変わっているでしょう。
 そうです、「私1人でやったのではなく、神の恵みがともにあった」のです。だから、勇気を持ちなさい。神が呼んでくださるところを、じっと見つめなさい。

よい意志を持つこと。自分自身を信用せず、神と祈りに全面的な信仰を持ちなさい。イエスは、一瞬のうちに聖パウロを変えられました。これこそ、今日の祝日で私たちが果たさなければならない回心です。


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