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新世紀ルーツへの巡礼

目次

パウロの娘の出発

1) ブラジルへ

アルゼンチン港

アルベリオーネ神父は、ブラジルに出発した最初の司祭たちに、「まず男子の修道院をしっかりと築き、そのあとで女子修道会は、少なくとも徒歩で5分の距離をおいて建てるように。その両方の修道院に合わせて、修道士と師イエズス修道女会会員の働きと祈りを配置しなさい」と書き、このとおりに行われていきました。

長兄の聖パウロ修道会兄弟たちが、まず第一歩を準備し、そこにパウロの娘たち(聖パウロ女子修道会)も全世界に向けて羽ばたく歩みがはじまります。

アルベリオーネ神父は、こうパウロの娘たちに言います。「全世界に数多くのパウロの娘たちが派遣されることは、非常に、非常に良いことです。……日本、インド、ブラジル、アイルランド、中国、スペイン、ポルトガル、アメリカ合衆国、フランス……などへ。そこでは、あなたたちから神のことばが待たれています」と。

パウロの娘たちの最初の世界に向けての出発は、南アメリカとアメリカ合衆国です。

ブラジルへ

1932年ブラジルの最初の共同体
ブラジル最初の共同体

●1931年10月21日、ブラジルに向けてシスターアッドロラータ・バルディとシスターマルゲリータ・ジェルロットが、サンパオロの近くの港サントスに到着しました。

●彼女たちの到着は、先に着いていた聖パウロ会メンバーにとって、予期せぬ出来事であり、ボアノ神父はその驚きを隠し得ませんでした。彼は、カブリーニ会に彼女たちの宿泊を依頼しました。先の聖パウロ会同様この度も、彼女たちは教会上長の無許可での上陸でした。

最初の数週間、彼女たちは聖パウロ会の家事仕事と「La Squilla」という週刊誌の発送を手伝い、許可が下りるのを待ちながら過ごしていました。

1931年末に、デュアルテ・シルビア・レオポルド司教は、修道会の使徒職を理解し、彼女たちを迎え入れました。彼にとって、聖パウロ女子修道会固有の使徒職はとても新しいものと写ったのですが、それを果たすことを許可し、こうして、パウロの娘たちはもう一歩を踏み出しました。

翌年2月には、シスターステファニーナ・チッラリオ、シスターマルチェリーナ・ベルテットが到着しました。

彼女たちは、ポルトガル語を学びながら、日曜日にはイタリア人の多い「よき牧者教会」に行き、アルバで出版された聖書、福音書、カテケージスをはじめ、「アベ・マリア」という現地の出版社で発行された本の普及をはじめました。

やがて、サンパウロの司教からも招かれ、新しい修道院を創設しました。

アルベリオーネ神父は、1932年の1月に書簡を送り、次のように記しています。

親愛なる者へ、

よい旅行と喜ばしいニュースに、神に感謝!
私が非常に愛している中でも、……「家」という恵みある宝について考察するのは、有益なことです。
このために、私は何年も祈りと労苦をささげました。……
宝(単数形)と多くの宝(複数形)は、神と人々の前に一つひとつの宝を生み出すことができるあなた方自身です。……
私は、多くの罪、ただ罪だけを恐れます。
2つのことが、すぐあなたがたに必要です。
 (1) 神のみ心とその恵みをわかるために、他の人のではなく、あなた方自身の意識の糾明。
 (2) 打ち勝つべき誘惑、勉学の困難、召命の識別の困難、使徒職のため……などに、毎回、契約の祈りを更新すること。
あなた方を祝福し、祈りを求めます。

この手紙をご聖体の主の前で読んで下さい。

アルベリオーネ神父

シスターテクラ・メルロも、アルバから彼女たちに手紙を送り、「賢明さをもって、そして広い視野をもって、出版について考えるように」と提案しています。

アルベリオーネ神父もトロッソ神父に手紙を送り、彼女たちが自分たち独自の印刷所をもって出版する時期をみるように」と指示しています。

パウロの娘たちは、イエズス会司祭から印刷機を入手し、最初の本を出版しました。これは、イタリアにいるパウロの娘たちにとっても大きな喜びでした。しかし、アルベリオーネ神父は、この一歩を祝福すると同時に、「よりよい紙、よりよいインク、よりよい内容を」と警告しています。

ブラジルにおいて、修道会は、パウロの娘たちの精神を理解する数多くの新しい召命に恵まれ、発展していきました。

◆3--6 パウロの娘の出発


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