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新世紀ルーツへの巡礼

目次

聖パウロの大聖堂建立へ

神の助け

パウロ

パウロ家族は、長年にわたる数えきれないほどの犠牲と祈りと捧げものの結実です。かれが十分に説明することのできないこの恵みとともに、祈りの中で繰り返す神との契約や、4つの部門での働きとあらゆる面での祝福の結実でもあります。

彼(アルベリオーネ神父)は、不断に祈る敬けんで徳のある人びとのグループを、自分のまわりに作っていきました。その頭は、キエザ神父でした。さまざまな種類の危険がおそってきたものです。人身上、経済上の危険、書面あるいは口頭での訴え、来る日も来る日も危機にひんして生きていましたが、いつも聖パウロが救いでした。

支出をするさいには、慎重に次の糾明をしてからすることにしていました。これは必要でしょうか。正しい意向があるでしょうか。もし臨終の床にあってもこうするでしょうか。答えが肯定の場合には、神に委ねてそれを行いました。

ときおり、窮乏は火急の対策を必要とする重大なものでした。あらゆる方便や人間的希望が閉ざされたときにも、祈りながら罪を避け、清貧に反するあらゆる過失を退けるように努力しました。すると思いもかけない解決策が生まれました。未知の人びとからの送金、お金を貸そうとの申し出、新しい恩人の出現や、彼にはいまだに説明のつかないこと……が起きて解決を見ました。歳月が流れ、破産するに違いないという風評や、気が狂ったという非難……なども消えていきました。そして、たとえ苦労があるにせよ、すべては平和のうちに結論にこぎつくのでした。

債権者のだれひとり、損はしませんでした。……そして出入りの商人、建築業者、商社などは信頼を持ち続けてくれました。協力してくれた恩人たちの、その愛徳は3倍もの実を結びました。しかも、そういう恩人たちがたくさんいました。その反面、反対の事実も数多かったのです。ジャッカルド神父はこう言っていました。「たとえ善意からにせよ、わたしたちに反対する人びとを気の毒に思います。その中には、もうすでに罰を受けた人がいますから。」だがかれはこう答えるのが常でした。「聖パウロ会に召命を送ったり、援助をしたために祝福を受けた人の方が多いのを、わたしは知っています。」

霊的手記より


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