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新世紀ルーツへの巡礼

目次

使徒の女王大聖堂

1) アルベリオーネ神父とマリア

使徒の女王画
使徒の女王

アルベリオーネ神父は、母親の影響で、子どものころから聖母マリアに対する信心があつく、彼が司祭になってからもこの信心は深められていきました。「ロザリオをおいては、たった一つの勧めを与えることさえできないと確信している」と手記に書いているように、彼も会員もどんな時にもロザリオを唱え、聖母マリアをとおして、イエスに必要な恵みの取り次ぎを願いました。また、彼の行いや労苦などのすべてを聖母マリアをとおして、神へのつぐない、あるいは感謝のささげものとしていました。

彼はまた、聖母マリアについて記事や本を書き、説教をとおして聖母マリアへの崇敬、信心を広めていました。彼がはじめた修道会のメンバーをも聖母マリアに託し、彼女に祈り、彼女に導きを願うようにメンバーたちを指導していました。パウロ家族メンバーは彼の勧めに従い、聖母マリアに自らを奉献し、使徒職をも聖母マリアに託していました。ですから、修道院のいろいろの場所、ことに使徒職の場にはマリア像やマリアのご絵を飾らせ、土曜日には特別に聖母に祈っていました。
 この聖母は「使徒の女王」として崇められていました。

アルベリオーネ神父は、また手記にこうつづっています。

ある夢の中でマリアに向かい、パウロ家族は今、尊敬のしるしとして何をしたらよいか、また、歴史の現時点において、マリアはキリスト者たちからどんなプレゼントを期待しておられるかと尋ねてみた。
マリアは恵みに満ちた方にふさわしく、白金の光に包まれて現れた。
《わたしは神の恵みの母です》という声を聞いた。
これはみじめな人類の、今日の必要に応じるものであり、マリアが現在果たしている《恵みの普遍的仲介者》の務めを、いっそうよく知らせるのに有益である。
 ひとつの誓い

第二次世界大戦は、非常に多くの犠牲者を出しました。それは、兵士だけでなく一般市民にも及びました。

当時、パウロ家族は世界にも広がっていました。多くの人たちは、「いつ死ぬか」という思いの中にいました。

アルベリオーネ神父は、第2次世界大戦中のある時点で一つの願(約束であったかもしれませんが)を立てます。

彼は、多くの人たちのことを心に抱いて、聖母に信頼を寄せ、聖母マリアに向かって、「使徒の女王であるマリア、あなたのみ名にささげる聖堂を建築しようとする私たちを救ってください。修道者や修道女、ならびに、その建物を戦火から守ってください。もし、この願いが聞き入れられたなら、必ずあなたのために大聖堂を建てます」と祈ったのです。

つまり、平和が訪れたら、ローマの総本院の敷地に大きな教会堂を建造するとの約束です。それは「使徒の女王」という称号で崇敬されているマリアにささげられ、パウロ家族が住む町の心臓部となるはずのものです。

幸い、アルベリオーネ神父が創立した諸修道会のうち、戦火にあった修道院がいくつかはあったものの、戦災死亡者は一人も出ませんでした。

イタリアで、シチリア島のカリアリがはげしい爆撃を受け、たくさんの死傷者が出たときのことです。聖パウロ女子修道会の修道院も爆風で階段がくずれ落ち、2、3階にいたシスターたちは下に降りて避難することもできませんでした。そこへ消防団員がかけつけてくれ命を助けられました。外国では、フィリピンのリパで修道院が爆撃を受け完全に破壊されましたが、一人の死傷者も出ませんでした。

またある日のこと、午後2時ごろでした。ローマに警戒警報が鳴りました。爆撃機の一隊がオスチアからローマに向けて侵入し、パウロ家族のある修道院に近づいてきたのです。志願者も会員も防空壕の中に走りこみました。

この中央に爆弾が落ちた
この中央に爆弾が落ちた

アルベリオーネ神父は300メートル位のところにある聖パウロ女子修道会のシスターたちに空襲を知らせるため、坂を登って行きました。

聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会のちょうど中間あたりで、アルベリオーネ神父の数メートル先に爆弾が落ちました。彼はとっさに身を伏せ、いくつかの破片が彼の頭すれすれに飛び散り、幸いにも難をまぬがれることができました。

アルベリオーネ神父は、その場所を中心に「使徒の女王大聖堂」を建て、聖母マリアがパウロ家族の中心に留まるように配慮したのです。その大聖堂は、パウロ家族が戦争の災害を、聖母マリアの特別の保護によってまぬがれたことを感謝するためのものでした。

アルベリオーネ神父は、戦争中に立てた誓いをはたすため、大戦終了後、1947年のはじめに、パウロ家族のメンバーに次のように語りました。

「今日のように、目が飛び出すほど物価が高くなっているときに、使徒の女王大聖堂の建設を始めるのは不賢明だ、という人もいます。いろいろ考えれば、そういう結論になるかもしれません。しかし、もしこれをしないならば、他のためにも支払い不可能になるでしょうし、他の事業の資金ももてないことになるでしょう。この御母、しかもりっぱなものを受ける資格のあるこの御母に聖堂をささげるのは、当然のことです。それは、みなのため、あらゆることのための水がわき出る井戸を掘ることなのです。みながほんとうに感じている必要事なのです」と。

◆5--4 使徒の女王大聖堂


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