home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 7- さらなる発展へ > 3) 1953年という年(1)

新世紀ルーツへの巡礼

目次

さらなる発展へ

3) 1953年という年(1)

飛行機の前で

1953年は、シスターテクラ・メルロにとり、旅行につぐ旅行の年でした。春から秋にかけて、3つの旅行をしています。最初の旅行は、4月13日から5月22日まで日本、フィリピン、インドなどの東洋行きでした。この時期には、訪問旅行(当時は視察と呼んでいた)は修道会総統治の通常活動となっていました。外国での支部創設に伴い、彼らの旅行もひんぱんになっていました。

このときの日本への旅行は、創立者アルベリオーネ神父の他に師イエズス修道女会総長シスター・マリア・ルチア・リッチも一緒でした。

アルベリオーネ神父は、開局したばかりの「文化放送」、福岡支部修道院、パウロ家族の他の修道院などを訪問しました。
この訪問の状況についてはいずれまたお知らせしたいと思います。

シスターテクラ・メルロは、訪問先で母としてのやさしい心づかいをもって一人ひとりのシスターの健康状況、使徒活動などに関心を示し、書籍の普及、展示会、他のあらゆる企画の進行状況と効果について尋ね、相談にのり、すべての面に気を配っていました。各地の特別な、固有の事情を理解し、その上に進歩できるよう、指導や勧めを与えていました。

この旅行では、ベイルートで給油のために一度着陸しましたが、シスター・テクラは「ここはパレスチナとの国境地帯で、女の人たちはマリア様のような身なりをしています」と会員への手紙で書き記しています。

また、この時にベトナムのサイゴンに立ち寄っていますが、彼女はこう書いています。
「サイゴンで一団の兵士たちを見ました。飛行機に乗ってきたのです。戦争に行くのでしょう。心が痛みました」と。
この時期、ベトナムは戦争中、デルタ進攻のときでもありました。

イタリアのある女性誌に、「全世界の飛行場は、この疲れを知らぬ旅行者の姿を見た。あらゆるところに散っていった自分の娘を訪れようと、世界を駆けめぐる女性……」と、シスターテクラ・メルロについて書いています。

シスターテクラ・メルロは、どのようにして現代のコミュニケーション手段を用い、神のみことばをすべての人びとに伝えることができるかを思い巡らしながら、実際に、また祈りの中で、全世界を駆けめぐっていました。

シスターテクラの旅行を同伴したことのあるシスター・ロレンチーナ・グイデッテイはこう証言しています。

私は東洋、つまりインド、フィリピン、マレーシア、ボルネオ、台湾、日本などに旅行して、そこでプリマ・マエストラの働きがどれほど大きな効果をあげたかを見ました。

それはローマ本部で、シスターテクラ・メルロのそばに25年も30年も一緒に過ごした私たちにもほとんど知られていない業績でした。

もちろん、ローマで私たちは、シスターテクラ・メルロが出発なさるのも、どこへいらっしゃるのかも知っており、お帰りを待ちわびてはいましたが、遠いところで実際になにをしておられるのかをあまり考えませんでした。

私は東洋のいろいろな修道院で、そこの長上たちから、シスターテクラ・メルロの手紙を見せてもらいました。シスターテクラ・メルロはほんとうに一歩一歩彼女たちの歩みを導いておられたのです。

なにをしなければならないか、どのようにしなければならないか、どこに新しい修道院を創設すればよいか、全部に勧めが与えてありました。それらの手紙を見ても、また訪問のさいなさった講話を聞いても、それぞれ、その国民の心理をよく心得ておられたことがわかりました。……

フィリピンで
フィリピンで

シスターテクラ・メルロは、各地の習慣に自分を合わせ、だれとでもくったくなく交際でき、みんなの模範となっていました。深くて落ち着いた観察力で、 人びと、できごと、事情、気候、環境などをながめていました。そして、それを自分のためにも他人のためにも役立たせていたのです。

シスターテクラ・メルロは、娘たちの進歩と働きを喜び、勇気をだして、続けていくように励まし、同時に疲労に倒れることのないよう、自分の力を頼み過ぎないように、と勧めていました。

「神さまに信頼しましょう。……主が、多くの人に近づき、多くの善をおこなう恵みを、私たちにくださるでしょう」と。

また次のように言います。
「信仰と明るい希望と奮発心をもって働き続けましょう。日がたつにつれて私たちの使徒職のすばらしさがわかるようになりますよ。そして毎日新しい必要性が示されるでしょう」と。

いろいろな修道院の訪問を終えると、ローマに戻ってしばらく本部のシスターたちと一緒に過ごし、また新たな旅行へと旅立っていきました。

ローマ空港のある入国監査官はつぎのように言っています。

シスターテクラ・メルロが世界のいたるところに出発して行かれるとき、またそこから帰ってこられるとき、私は職務上彼女と知り合いました。

何時間もの旅のあとで、シスターテクラ・メルロは疲れて苦しんでおられたにちがいないのに、いつもやさしいほほえみをたたえていらっしゃったことが、私たちにとてもよい印象を残していました。

シスターテクラ・メルロは、手紙の中で次のように書いています。

全世界に宣教をしなければなりません。この人々を助け、まことの善を与え、祈りと宣教によってこの人々の救いに協力する必要を感じなければなりません。

私たちの使徒の女王への祈りのなかにあるでしょう。
「広大なアフリカ、果てしないアジア、将来性に富むオセアニア、苦悩するヨーロッパ、南北アメリカの状態が、私たちの心に強く訴えますように」。

会員が一人残らず、人びとの魂へのこの愛を感じますように! 

旅から旅へ、シスターテクラ・メルロは、ただ一つの熱望―できるだけ多くの人に、神が、真理が、救いが、及んでいくようにとの願いの中で走っていました。

一つの旅行を終えて帰るとき、いろいろな国の風俗や習慣、気候や自然美、産業などについて語ることもありましたが、苦悩と悲しみの面もちでとくに力を入れて語るのは、各地で見た無数の道徳的悲惨についてでした。

◆7--1 さらなる発展へ


▲ページのトップへ