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新世紀ルーツへの巡礼

目次

さらなる発展へ

7) 1953年という年(2)


女子修道会総長第2回全国評議会で

女子修道会総長第2回全国評議会

1950年代、アルベリオーネ神父は聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会に、使徒職の本質を改めて提示しながら、神から与えられた固有の使命の道を歩むように勧め、励ましています。

1953年4から5月の東洋の旅の後、アルベリオーネ神父とシスターテクラ・メルロは、ポルトガルのファティマに立ち寄り、聖母のご出現の場所でミサをささげ、すべての国々のために、主に、広い心と世界のさまざまな必要を感じとる心を祈っていました。

アルベリオーネ神父は、この地の創立のために派遣していたサヴェリオ・ボアーノ神父に、新しい修道会創立に反対している教会権威者のため、彼らが修道会に理解を示してくれるように祈るようにと勧めています。

経済上の困難に対して、アルベリオーネ神父は、次のような手紙をボアーノ神父に送っています。

愛する兄弟よ、経済上のことですが、私は信仰をもって謙遜な4人の人に毎日祈っています。

①聖ヨセフに向かうコロンチーナ
②守護の天使に向かうコロンチーナ
③煉獄の霊魂に向かって3つのデ・プロフンデスの祈り(詩編130)
④契約の祈り

これらの祈りを毎日3年間続けて祈るように。
お元気に、祈りをもって。

ボアーノ神父は、「お金を求めている時、お金が入ってくるというような、説明しがたい奇跡のようなことが実際に起こったのです」と言っています。また、彼は「ポルトガルでの修道院創設において出会った数々の困難、ことに経済的な困難は、聖母の助けで乗り越えることができた」とも語っています。

1953年7から9月、アルベリオーネ神父はシスターテクラ・メルロと共に、カナダ、合衆国、コロンビア、チリ、アルゼンチン、ブラジルの諸修道院を訪問しています。

合衆国では、90リラを持って最初の2人が到着してからすでに21年たっていました。ルーズベルト大統領時代から、アイゼンハワー大統領時代になっていました。その間には第2次世界大戦がありました。この21年の間に、彼女たちの使徒職は発展し、いくつかの出版部、養成院、使徒職の場ができていました。いくつかの支部も開かれていました。時代は変化し、最初はパウロの娘の存在さえ困難であったのですが、今では各司教区の司教たちからの招きを受けても、そこに派遣する会員が不足している状態になっていました。主の刈り入れのための働き手を、派遣者である神に祈る日々でした。
アルベリオーネ神父もシスターテクラ・メルロも、訪問地で開設されている修道院を訪問し、将来の修道院の土地を見にいき、将来どのように使命を果たしていくかの方針を指示していました。

シスターテクラ・メルロは、「パウロ家族の使徒職の発展は、神のリズムにそって生きていきます。神のみ手を勝手に動かすことはできません」と主に祈りながら派遣主のご意志を識別し、果たすようにと勧めています。「しなければならない大きな善を前に、私たちは自分の小ささを感じ、自分の不足が目につきます。でも、私たちといっしょに主がおいでになります。恐れることはない、私が共にいる、と私たちのどの聖堂にも書いてあります。勇気を出しましょう。神様に私たちをおまかせしましょう。私たちの修道院は聖人をつくる工場でなければなりません」と彼女は会員に言っています。

彼らの旅はメキシコへと続きます。そこでは、聖パウロ修道会最初のメキシコ人神学生6人の着衣式がありました。

独裁体制下にあり、入国ビザの手続きがむずかしかったにもかかわらず、8月6日、アルベリオーネ神父はキューバにごく短い訪問をしています。この短い滞在中、アルベリオーネ神父は、アヴァナの大司教と出会い、その何時間か後にはコロンビアに出発しています。ここで体調を崩したにもかかわらず、すべての任務を果たすことができました。 大きな移動の年であった1953年は、最後に、フランス、スペイン、ポルトガルを訪問する11月の短い旅行でしめくくられました。

旅行で不在であった9月には、ローマで女子修道会総長第2回全国評議会(FIRAS)が開催され、シスター・テクラはその協議会会長に選出されていました。

自分の知らないうちに会長に選ばれていた彼女は、パウロ家族の世界外の任務に呼ばれるなど考えられなかったので、それがほんとうかどうかを確認しました。それが事実であるとわかり、いったん会長の任に就くと、てきぱきとその任を果たすことになります。

一つの例をあげると、FIRASは、幼稚園のシスターたちのために専門教育コースを発足させねばなりませんでした。このために、教授、場所、経済的手段を見つける必要がありましたが、経験のある1人が、この企画は実現不可能であると言いきっていました。シスターテクラ・メルロは、「修道者聖省(バチカンにある修道者のための機関で、現在の「奉献・使徒的生活会省」)がこのコースをぜひするように望んでいるのならこのコースを準備し、できるだけのことをしましょう。主が助けてくださるでしょう」と言い、その実現のために働いたのでした。

シスターイグナチア・バッラは、「コースは実現し、多くの生徒が参加し、考えてもみなかった成果が得られました。同様のコースが、その後ひき続き何年も行われましたが、参加した修道女たちにとても役に立ちました」と当時を回想して語っています。

1953年は実に多くのことがあった年でした。アルベリオーネ神父、シスターテクラ・メルロにとっては「旅するパウロ」のように、アジア、アメリカ、ヨーロッパへの訪問という移動の年でもありました

◆7--1 さらなる発展へ


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