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なるほど! 社会教説 “しろはた”

第7回:共通善の原理

<第1部、第4章、2 共通善の原理(164-170)>

 「共通善」という言葉を初めて耳にする方もおられることでしょう。平たく言えば、「みんながしあわせに生きるために、みんなにとって善いもの」ということできます。「共同体はこの共通善を実行することによって、みんなでしあわせになれますよ」、これが共通善の原理です。当たり前すぎて拍子抜けしそうですが、この当たり前のことが実行されないために、深刻な問題の発生を招いたり、問題を解決できずにいる現実があります。

 たとえば、子女の教育は、その共同体のためにも当人のためにも善いことなので、共通善の原理にかなっていますが、貧困のために教育を受けられない子どもたちがいます。これは、仕方のない、受け入れざるを得ない現実なのでしょうか?そうではありません。貧困の多くは、一部の人の搾取によって引き起こされており、労働者に、当人とその家族が人間的に生きるに足る正当な賃金が支払われていないことに原因があります。たしかに、搾取する側の経済活動がその国の発展のために欠かせない、という視点もあるかもしれません。しかし、人間を粗末にして達成される発展は、真の発展でないのです。

 ある人にとっては、共通善の追求と個人の利益が対立関係にあるように見えるかもしれません。しかし、「あなたのしあわせは、わたしのしあわせ」と感じる能力が人間にはあります。この「あなた」を広げることで、共通善の追及が「みんなのしあわせ」を実現するのです。


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