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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記

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第11回 スペインにおける創設  - 困難な最初の犠牲 -


スペイン
  マドリードの家 1956年

 

スペインに向かった最初のイタリア人は、はシスター コスタンツァ・ビアンチョット、シスターフェデーレ・ミラーニ、シスターカンディダ・ペローネです。彼女たちは、1946年8月16日、ローマを出発しました。ティモテオ・ジャッカルド神父の希望によってルルドを回っていきました。その後ビルバオに数日間留まり、ことばにもスペインの生活にも慣れていた一人の師イエズス修道女会のシスターが、バルセロナまで同伴してくれました。

8月25日朝、大雨の中バルセロナに到着しました。教えられたとおりの住所にたどり着いたのですが、彼女たちが泊まるはずの家が見つからず、どうしたものかと戸惑いました。

姉妹たちは、当時を思い出してこう語っています。

 
わたしたちが一時的に留まることができる場所として、質素であっても心地よい小さな家を見つけることができると確信していました。ところが、わたしたちに教えられた住所には、創立されつつある何らかの教育施設があり、年配の独身者数人と十数人の少女たちがいて、養成を受けるのを待っているのでした。

わたしたちの到着も、知人があらかじめこの会のメンバーの一人に賃貸料を支払っていることも、だれも知りませんでした。お先真っ暗で、雨は激しく降り続け、わたしたちはわずかなお金を持っているだけでしたので、どこに行けばよいのか途方にくれてしまいました。

この女性たちは、わたしたちに愛を示して泊めてくれました。そして建物の中の一番低く、暗く、湿気の多い、ねずみや蜘蛛の巣が張っているところに通してくれました。そこはドアもなく、窓は開けっ放しで人々の好奇の目にさらされるところでした。

「プリモ・マエストロはいつもベトレヘムから始めるようにと、わたしたちに言われました。つねに貧しさとイエスに喜んでいただける委託から始めること」と言われたではありませんか。わたしたちは気力を取り戻し、ほうきと雑巾をとって、ことばにならない陽気さと信頼の心で掃除をしました。

できるだけきれいに掃除をした後、わたしたちは何らかの方法でこの摂理的な住まいに適応し、だれも「いつまで?」と問うことなく、休みにつきました。わたしたちは心のうちに神の助けを感じていました。不確かな明日を恐れることはありませんでした。待ち望んでいた何らかのよりよいものを見つける可能性を得るまで。こうしてわたしたちは、一か月間ここに留まることになりました。

到着した翌日、わたしたちはスペイン語の最初の必要なことばをおぼえて、家庭に向けてプロパガンダを始めるために外に出ました。

- ブエノス ディアス セニョーラ。アベマリア・プリッシマ
(こんにちは。スペインの典型的な宗教的あいさつ)。

- ブエノス ディアス ヘルマニタス シンペカド コンチェビダ! ケ キエレン
(こんにちは、制作物をもってまいりました。何をお望みでしょうか)

- ソモス ラス ミシオネラス ラ ブエナ プレンサ イ パサモス パラ ディフンディル ラ パラブラ デ ディオス
(わたしたちはよい出版の宣教女です。神のみことばの普及のために来ました)

わたしたちは感謝をこめたほほえみをもって、婦人たちの手に、扉口や鐘の音に顔を出す若者たちの手に、本を手渡していました。
わたしたちは最初の日から、主がどのようにこの人々を導いておられたかがわかり感動しました。主が、わたしたちと、わたしたちの始めたばかりの仕事に関心を示している人々を準備してくださっていたことに気づきました。

これは初期の困難の犠牲の中に見いだした、慰め深いわたしたちの確信でした。


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